2009
11/30

東條勉(当時34歳)の証言

○事件の年 : 1996年

○脱会説得者(所属) :
船田武雄(日本イエスキリスト教団・京都聖徒教会)
富田功(日本同盟基督教団正牧師)

○事件の概要と経過 :
『次の瞬間、襖がサーッと開いて、一体何という事か!私と妻の双方の親族がぞろぞろと出てきたのです。皆引きつってこわばった無表情な顔に見えました。・・・その時になってやっと「しまった、はめられた!」と気付いたのですが時既に遅し。妻は、こんな所から出てくるはずの無い自分の父親や兄に向かって「何なの~?!」と抗議し、私の腕にしがみ付きましたが、親族に周りを取り囲まれて私のそばから引き離され、私から見えない奥の部屋に連れて行かれました。私も即座に「嫌だ!」と叫んで立ち上がりましたが、両親のみならず親族がわーっと詰め寄ってきて、・・・私の身体の自由を奪い、お神輿のように私を担いで力ずくでワゴン車に押し込みました。ワゴン車に押し込まれるまでの間、「助けてくれ!」と何度も絶叫しましたが、誰も助けに来ませんでした。
・・・妻との幸福な家庭生活を破壊されるというストレスに耐え切れず、時には涙ながらに親族に訴えたことも有りましたし、また時にはブチキレて大暴れすることもありました。解放される時に数えたら、私が監禁中に暴れて壁に(拳や蹴りで)大穴をあけたその数が全部で50数箇所もありました。・・・(本文より抜粋)』

新宿区中落合のアパートで幸せな新婚生活を送っていた東條さんご夫妻は、静岡県で親戚の法事に主席した際、夫婦同時にそれぞれの両親・親族に拉致され、夫は京都の、妻は千葉県のマンションに別々に監禁されるという、拉致監禁被害者の中でも稀有な体験の持ち主です。夫は船田武雄牧師、妻は富田功牧師の強制説得を受ける。犯罪的な脱会説得に夫が強く抗議をし続けると、夫の親族の一人が「こんなことは人間のやることではない」と言い出し、5ヶ月後に最初に夫が解放される。その後、夫と親族が妻の両親たちを説得して妻もこの後解放される。夫の父親は監禁を心から後悔しているという。

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1.拉致監禁されるまで

私達夫婦は1996年9月、二人同時に拉致され別々に監禁されました。私と妻の双方の親族がキリスト教牧師の教唆を受け、共謀して実行したのです。私達は、妻の親族が監禁を計画している情報だけは事前につかんでいたのですが、まさか双方の親族が共謀していようとは全く思ってもいませんでした。

拉致監禁される3ヶ月前に、以前妻が所属していた調布市小島町の統一教会員の寮に、名乗らない女性から「親族が動くから帰省するな」と電話があったのです。それが誰なのか未だに判らないのですが、おそらく監禁行為を良く思わぬ親族の誰かではないかと思います。

それ以来、妻の通勤経路を毎日変えて待ち伏せされぬようにしたり、地方ナンバーのワゴン車に気をつける等の努力をしていました。当時を振り返っても、いつ妻が拉致監禁され幸福な生活が奪われるかという不安と恐怖におびえる日々でした。

ただ、それでも私の親族に対しては全く警戒をしていなかったのです。と言うのは、母は統一教会に大反対でしたが、父は理解が有りましたから、私の親族は大丈夫だと思い込んでいたのです。

監禁中に妻の姉から届いた手紙によれば、彼女と妻の叔母が脱会請負の反統一教会組織を調べて依頼したのが発端だそうで後に妻が親族から聞いた話によれば、監禁前に妻の親族は脱会請負をしているキリスト教会に何度も何度も通ったそうです。その際に「信仰歴15年以上にもなって家庭も持っているのは脱会させられる可能性が低い」と、群馬の清水与志雄牧師は敬遠したそうです。

私の親族は母親が伯父を巻き込んで、主に母方が結束し、父は「勉との信頼関係が壊れる」と猛反対したのですが、結局従わざるを得なかったそうです(後日そのことを涙を流して告白していました)。それ以降、私の親族も日本イエスキリスト教団の京都聖徒教会に何度も通ったそうです。また「統一協会=悪」という内容の学習をかなりしていたようです。私が解放された直後、実家に行った時にその類のビデオテープが有りましたから。

今思えば、私の親族が監禁を計画している事も、見抜けないことは無かったと思います。やたら母が「あんたと話し合いがしたい。でもあんたは怒るかも知れない。怒るんじゃないよ。」などと意味不明な事を何度も言っていましたから。

また妻の母親が、妻の小学生の頃の写真を送りつけてきたりして、二人で「一体何のつもりかな?」と首をかしげたものでした。

要するに、親への感謝の情を喚起させ、娘に監禁行為を許してもらうための布石を打ったのでしょう。または昔を思い出させて統一教会への思いを薄れさせることにより、脱会説得をしやすくする目的が有ったようにも思われます。親だけでこのような姑息な手を考えつくとは思えず、何かマニュアルめいたものが有って、それに従ったと考えるのが自然でしょう。

拉致監禁の少し前にはオウム事件が有りました。父から電話が有り「お前らの教会も同じだ。お前らは文鮮明の手下にされとるようなもんだぞ。」と言うのです。理解が有ったはずの父が何故?と悲しく思いましたが、既にその頃には「統一協会=悪」の教育が完了していたということでしょう。

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2. 拉致の状況~車中

父から電話があり、1996年9月22日に私の祖父の法事をやるから来いと言ってきました。命日とは全然関係ないし、普通に考えて「何故こんな時期に?不自然でおかしいな」と思いました。でも父とは信頼関係があったつもりでいたので、さほど疑うことはしませんでした。

でも一応、念のため防犯スプレーは持って行きました。静岡県湖西市で法事を行いましたが、法事の最中も法事の後も叔母達の顔がこわばって態度がやけによそよそしかったのを覚えています。

その後、母が運転する車に乗せられたのですが、全く違うおかしな方向に行くので「どこに行くのか」と尋ねると「三ケ日(*静岡県浜松市)の親戚の家で休んで行く」というのです。その家に着いて皆でお茶を飲んでいると、父が突然私の腕を握り、「お前のやっている統一教会」について勉強したい」と言うのです。

次の瞬間、襖がサーッと開いて、一体何という事か!私と妻の双方の親族がぞろぞろと出てきたのです。皆引きつってこわばった無表情な顔に見えました。その中で私の叔父と妻の父親だけが口元に薄ら笑いを浮かべていたのがゾッとするほど不気味でした。その時になってやっと「しまった、はめられた!」と気付いたのですが時既に遅し。

妻は、こんな所から出てくるはずの無い自分の父親や兄に向かって「何なの~?!」と抗議し、私の腕にしがみ付きましたが、親族に周りを取り囲まれて私のそばから引き離され、私から見えない奥の部屋に連れて行かれました。

私も即座に「嫌だ!」と叫んで立ち上がりましたが、両親のみならず親族がわーっと詰め寄ってきて、右腕と左腕にそれぞれ二人ずつ、そして右足と左足にも二人ずつ計8人がしがみついて私の身体の自由を奪い、お神輿のように私を担いで力ずくでワゴン車に押し込みました。ワゴン車に押し込まれるまでの間、「助けてくれ!」と何度も絶叫しましたが、誰も助けに来ませんでした。その時、妻の兄と目が合いました。

こわばった顔をしていました。妻は親族に抗議はしたものの、抵抗しても無駄と思ったのか、暴れたりはせず、ふて腐れながら車に乗せられたそうです。

車はガラスに細工がしてあり外からは中が全く見えません。頭突きでガラスを割ろうとしましたが、ビクともせず。従弟が運転し後部座席に両親と伯父(母の兄)がずっと私の腕を押さえていました。仮に車中で防犯スプレーを使って必死に暴れたら何とかなったのかも知れません。でも自分が逃げても妻は捕まったままなのですから、一人だけ逃げても仕方ないと思いました(この考えは監禁中も変わりませんでした)。

それで防犯スプレーを父に渡すと、父はうなだれて泣きました。母がじーっと私を見つめていました。愛情の表現のつもりだったのでしょうが、こんな形の愛情など、くれても要りません。背筋がぞっとしました。取り乱して興奮する私を伯父がずっと「お~お~、よしよし」となだめていました。私が心底怒り狂っているのはよく解っているようでした。そして何時間か車に乗せられ続けました。

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3. 監禁場所へ

車から降りるとどこかもわからないマンションでした。親族に取り囲まれ腕をつかまれながらエレベーターに乗せられました。するとエレベーターの中で叔父の一人が「俺のこと覚えとる?」とおかしな事を聞くのです。私が「覚えてるに決まってるでしょう。誰々さんだ。」と答えると、「ああ良かった。覚えとってくれた。」 何を馬鹿なこと言ってるのかと思いました。

いくらカルト呼ばわりされる宗教をやっているからと言っても、自分の叔父の顔や名前を忘れるような人間がいるでしょうか?私の人格・人間性を何だと思っているのかと腹が立ちました。マインドコントロールされて記憶が消されているとでも思ったのか!俺はショッカー(注1)の改造人間(注2)か!

マンションに入るとまず両親が両手をついて私に謝罪しました。悪いことという認識をはっきり持った上で実行したというのが分かりました。当然私は抗議するのですが、ひとつ特に異様だったのは、私の喋った言葉を逐一父がテープレコーダーに録音しているのです。

一体なぜ私の言葉を録音するのか?誰に聞かせるのか?尋ねてもバツの悪そうな顔をするだけで何も答えませんでした。誰かにそのテープを聞かせ、その上で指示を仰ぐのでなければそんなことをする必要はないはずです。拉致監禁を指導している者が存在するのは明らかでした。

靴は隠され、ドアはチェーンと更に南京錠が掛けられ、その鍵は父が持っていました。窓は細工が施され数センチしか開かないようになっていました。部屋の奥には高く山と積み上げられたトイレットペーパー!長丁場になるという前提で準備したものでしょうが、これを使い終わるには一体何ヶ月かかるのか・・・。この先ずっと俺はここに閉じ込められ続けるのか・・・。ぞっとする思いでした。

*(注1)ショッカー:あの有名な70年代の特撮ヒーロー「仮面ライダー」に出てくる悪の組織

*(注2)改造人間:ショッカーによって改造手術を施され怪人にされた人間。ショッカーの意のままに動くよう洗脳されている。 ex.クモ男、こうもり男、コブラ男など

一方、妻を乗せた車は私とは別の方向(千葉)に向かったわけですが、妻は車中で「トイレに行かせて」と頼んだそうです。でも親族は「駄目だ。コレにしろ」と携帯トイレを出して見せたそうなんです。

他の拉致監禁体験者の証言にも、この携帯トイレの話は出てくるのですが、こういったことを指導するのはキリスト教の牧師なんですよ。連中の人権感覚の欠如をよく示していると思います。まるで民間人を人質に立て篭もるテロ集団並みの人権感覚だと言って差し支えないでしょう。女性に対して車中での携帯トイレ使用を強いるのですからね。

妻は「んなモンで出来るか~っ!」と激怒し、あぶら汗を流しながら数時間を耐え続けたのでした。死ぬかと思ったそうです。本当にご苦労様!

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4. 脱会説得者①

2,3日すると日本イエスキリスト教団、京都聖徒教会の信者の女性が、私の監禁されているマンションにやってきました。

中心になっていたのは有田モトコと名乗る、頭は弱いが、やたら負けん気と鼻っ柱の強い女でした。

それと荒木と名乗るメガネ女に、阿野(あの)と名乗るボーッとした暗い女(ホントに『あの~』って感じでした)。

有田を始めとして、やってきたのは全て監禁されて脱会した元統一教会員でした。

そして京都聖徒教会では、その類の人間がかなりいるとのことでした。

私は、連中の話など聞く必要も無いと親族に言ったのですが、母が「頼むからこの人達の話を聞いてくれ」と真剣に頼むので仕方なく聞いてやることにしました。

両親にも彼女等にも「ザコに用はねえ!どうせ背後で拉致監禁を指揮している牧師がいるのはわかってる。その黒幕をここに連れて来い。」と言いましたところ、その次からは日本イエスキリスト教団・京都聖徒教会の船田武雄牧師がやってきました。

群馬の黒鳥栄や清水与志雄といった牧師は自分が拉致監禁の首謀者であることが世間に知られるのを恐れ「牧師に相談したいと言うので仕方なく自分は来た」という形をとらせるように親族にも指導を徹底させているようですが、この船田武雄は「はい、私が拉致監禁の首謀者でございます」と認めたということでしょう。

なぜなら「黒幕を連れて来い」との要請に応じて即座に自分がノコノコ出てきたんですから。

彼等脱会説得者は最初、週2~3回やってきました。

私は、他にも彼等によって監禁されている20歳そこそこの可哀想なヒヨっ子の統一教会員がいるだろうから、自分が脱会説得者を極力手こずらせて時間を浪費させることで、そうした別件の脱会説得計画を邪魔してやろうと思いました。

古参の兄貴分として幼いヒヨっ子を助けたいと思ったわけです。

それで脱会説得者に「お前ら毎日来い」と言いましたところ、びっくりしていましたが、しばらくの間は毎日やってきました。

しかしやがてまた週2~3回のペースになりました。

私のような頑固者に時間を取られるよりも、もっと素直で脱会させやすい人に時間を掛けた方が得策だと判断したのかも知れません。

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5. 脱会説得者②

また船田牧師が知り合いの李(イー)という韓国人牧師及びその信者である韓国人キリスト教信者を連れてきたこともありました。

その牧師は韓国で従軍牧師(注3)として活躍し、信徒には韓国一流企業のトップがいるとのことでした。私が感心して尊敬するとでも思って連れて来たのでしょうか?笑わせるな!といったところでしょう。

脱会説得者らは、統一教会のショボさと既成キリスト教会の偉大さという、彼等が描いている構図を私の脳裏に植えつけたがっていたように思います。そして統一教会を脱会した後は自分達の日本イエスキリスト教団・京都聖徒教会の信者になってくれたらよいと思っていたのでしょう。

事実、私の監禁現場には統一教会を脱会して船田牧師の率いる京都聖徒教会の信徒になった人間が何人もやって来ていたのですから。見方によっては、彼等は拉致監禁という手段を通して自分達の伝道をしているのだとも言えます。統一教会なんかに置いとくのはもったいないスジのいい信徒候補を発掘できるのですから。そして私みたいに聖書に関心の無い、牧師を尊敬しない、煮ても焼いても食えないのは勝手にすればよいということなんでしょう。こんな伝道、アリなんですかね?

嫌われ者の統一教会だって伝道する時に拉致監禁なんてしませんよ。確かに、ノルマに追われて大変な統一教会と比べたら、「ただ信ぜよ。信ずるものは皆救われる。」の方が悩みが無くて幸せで、ずっと楽に決まっていますから、「そっちの方がいい!」という人間もいるでしょう。

そういう類の人間にとっては、監禁されて脱会して船田牧師の京都聖徒教会に入れて本当に良かった!ということなのでしょう。しかし、私のように、聖書にも日本イエスキリスト教団にも船田牧師にも彼の京都聖徒教会にも、一切何の魅力も感じられなかった者は一体どうなるのでしょうか?

私の踏みにじられた人権はどうしてくれるのか?破壊された親族との信頼関係はどうしてくれるのか?この落とし前はどうつけるのか?

彼等脱会説得者達は、自分達の京都聖徒教会の信徒候補として好ましい人間に対して、より力を注ぎたいと考えていたように感じられます。私が一向に脱会する様子も無く、「聖書などくだらねえ!」と言って聖書をビリビリに破いて放り投げたのを見て、彼等は「こやつはどうも京都聖徒教会には向かない。」と判断したのかもしれません。

毎日来るのをやめて週2~3回に戻したのは、そのためとも思われます。でも親族が「もうやめる」と言うまでは、彼等は無駄と分かっていても惰性でやって来て、何度も同じ話を繰り返したりしていました。言わば私は生殺し状態だったわけで、彼等は私の人権をもてあそんでいたわけです。

一方、妻の脱会説得にやってきたのはキリスト教牧師の富田功(イサオ)という男で、そいつも監禁されて脱会した元統一教会員でした。奴が脱会する前、監禁場所から逃げようとして足を骨折したとかで、びっこをひいていたそうです。馴れ馴れしく、人を小馬鹿にした様な態度が鼻につく、勘違いも甚だしいクソ野郎だったそうです。

*(注3)従軍牧師:兵士の信仰をサポートするために、軍隊の中に存在する教会で勤務する牧師。高級将校扱いされる。

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6. 監禁生活

私の監禁場所は京都の南吉祥院(地名)でしたが、初め自分が何処に連れてこられたのかも判りませんでした。親族に「ここは何処か?」と尋ねても困ったような顔をして何も答えないのです。誰かに指示されて動いているのがよく感じ取れました。そのマンションに5ヶ月間監禁されました。

新聞・テレビも無く、一切外部との接触を絶たれました。「テレビも新聞も一切駄目だと(監禁の指導をしている人間が)言うもんだから・・・」と父は言っていました。そのマンションで常に両親は私を見張り、それ以外に妹や伯父、叔父、叔母など1人~3人の親族が1週間交代のローテ-ションでそこに滞在しました。

脱会説得者や親族がマンションを訪れる時は、両親にそれと分かるようにノックの仕方が決まっていました。コン・・・コン、コンと3回。1回目と2回目の間を少しあけてノックするのです。

外からかすかに国会議員の伊吹 文明さんの宣伝カーの声が聞こえ、「ここは伊吹 文明の選挙区なのか。でも伊吹 文明ってどこの選挙区だっけ?」てなわけで全くわからず。ガス台に付いていたガスのサービスセンターの電話番号を見ると、どうも西の方らしいのです。

そして脱会説得に来ていたキリスト教会の信者の会話の中に「京都駅」という単語が出てきて、やっとそこが京都であると分かりました。

妻との幸福な家庭生活を破壊されるというストレスに耐え切れず、時には涙ながらに親族に訴えたことも有りましたし、また時にはブチキレて大暴れすることもありました。解放される時に数えたら、私が監禁中に暴れて壁に(拳や蹴りで)大穴をあけたその数が全部で50数箇所もありました。

よく大声も出しました。近所から通報が有ったのか、一度警察が来たことがありました。でも警察は反対牧師の味方であると以前聞いていましたので、どうせ自分を助けてはくれないだろうし、妻も別の所で監禁されているのだから妻も一緒に解放されるのでなければ意味が無いと思って、助けを呼ぶことも敢えてしませんでした。

今思えば駄目もとで「助けてくれ!」とか叫んだりしたらよかったのにと思うのですが、当時かなりナイーブで悲観的になっていたのだと思います。また監禁中、心労による胃けいれんが2度ありましたが、これも実に生まれて初めての経験でした。きゅーっというすごい痛みで胃がねじれるようで、痛くて声も出ないし、背中をのばすこともできないのです。あれは参りました。

少しでも気を楽にしたいと思って、高く積み上げられたトイレットペーパーを減らすことを考えたりしました。トイレに入る時は毎回必ずトイレットペーパーを2~3ロール持ち込んで、せっせと時間をかけてそれを流していました。それで高く積み上げられたトイレットペーパーの山がだんだん低くなっていくのを見ると何だかもうすぐ出られるような気がしてきて少し楽になるのです。

アホか!と思われるでしょうが、そんな些細な事ででも自分を励まし希望を持ちたくなるのです。でもそれも束の間、また母がド~ンと追加で大量に買い込んできて大きな山が復活し、実に暗澹たる気持ちになって落ち込んだのを覚えています。

また能天気な両親は「一緒に生活してるんだから協力し合うのが当然だ。皿洗いとか手伝え。」というのです。はらわたが煮えくり返りました。私は好きでそこにいたんじゃありません。一切、手伝いませんでした。甘い顔したらつけあがると思ったのです。

妻は千葉の佐倉市近辺のマンションに4ヶ月監禁され、その後は実家で軟禁状態でした。妻の父親は監禁指導者の言いつけに背いてテレビを監禁部屋に持ち込んでいたそうで、後でそれを聞いて私はかなり驚きました。どうしても巨人戦ナイターを見ないでいるのは考えられなかったそうで。こんな不真面目(?)な監禁もあったんですね。呆れました。よく監禁指導の牧師が許可したものです。

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7. 脱会説得者とのやりとり①

最初にひとつ私が失敗したことがあります。有田モトコの前で「お前ら俺の親からいくら貰ってるんだ?」という台詞がつい口から出てしまったんですね。船田武雄牧師とその取り巻きが金儲けのためにやっているというのは、私としては具体的な証拠・裏付けが取れていることではありません。

しかし統一教会の中でも世間知らずでおバカな青年支部長クラスやオバちゃん達などは自分で証拠をつかんでいないのに「奴等反対牧師は金儲けでやってるんだ」なんてつい言ってしまうことがあったりするわけです。こういう事はあくまでも個別具体的に、証拠をきっちり掴んで裏づけを取った上で言わないといけません。私もその時はつい腹立ちまぎれに言ってしまったんですけどね。

すると有田モトコは勝ち誇ったような顔をして鼻先でフフン、と笑い「統一協会ではそのように教えられているかも知れませんけど、そんなことは有りません。証拠も無いのに統一協会では一方的にそう思い込んでるんですよ。」と余裕しゃくしゃくでした。具体的証拠・裏付けが取れてなかっただけに、私としてはちょっと恥をかいたわけですね。

この点について船田牧師は「必要な経費は請求させてもらいますけどね、金儲けなんかではありませんよ」とほざいていました。まあ老獪で狡猾なジジイですから、証拠隠滅にぬかりは無いでしょう。ただ勝手な自分の意見を言わせてもらえば、経費なんていくらでも架空、上乗せ請求できると思いますけどね。

重要なことは何かと言うと、彼等は彼等なりの信仰観を懸けて、正しいことと固く信じて、ひとつ間違えばブタ箱入りのリスクを敢えて冒してやっているのです。監禁を実行した親族は形の上では明らかに刑法220条の逮捕・監禁罪に当たる行為をしているのですから、それが成立すれば、その犯罪行為を教唆・幇助した船田牧師も有田モトコら京都聖徒教会の信徒達も当然ただでは済まされません。

つまり彼等は確信犯なんです。カルトの統一協会員なら拉致監禁してもよいと固く信じているわけです。かつて左翼の革マル派が「原理(統一教会員のこと)は殺してもいいんだ」と言っていたのと、その危険度は大して差が無いと思います。

牧師を始めとした脱会説得者等は「親族は心配している。よく話し合いなさい。」などと偽善者ぶったふざけた事を言ってくれます。

それで、「自分はペテンにかけられた上、暴力的に拉致され、不当に監禁され幸福な生活を破壊され、人権を著しく蹂躙されている。あなた方はキリスト者としてこの状況を見て何とも思わないか?」と言いましたが、彼等は全く反応しませんでした。

彼等の言い分としては、要するに統一協会は悪い団体だからやむを得ないということでした。私が、「もし仮に統一教会員が法に触れる事をしたならば、個別具体的に、適正な法手続きに従い、警察、検察等の然るべき機関がその者の身柄を拘束するのであって、あなた方ごときが出しゃばってそれをやるのはおかしい。それに僕は何ら法を犯すような事は一切してませんよ。」と言っても全く響かない。たかが牧師の身分で、自分を何様と思っていたのでしょうか?勘違いにも程がある。

突き詰めてゆけば彼(船田武雄牧師)の本音は、統一協会は聖書もろくに読まないで、聖書のことをろくに知らないくせに、「世界『基督教』統一神霊協会」などと名乗っているのが許せない、ということのようでした。そして、若い頃自分が聖書を一生懸命読んだ自慢話をしていました。言っちゃ悪いが、聖書オタクのあわれなジジイという感じでした。また、統一教会に様々な問題点があることなど言われなくても分かってるのであって「お前らなんかに言われたくないね」という気持ちでした。

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8. 脱会説得者とのやりとり②

彼等脱会説得者はいろいろな話をするのですが、それに対し私は「コレだけは言っておかねば」という事以外は基本的に反論はせず、じっと聞いているだけにとどめました。

私が何を考えているか分らないので彼等が困るだろうと思ったからです。彼等のように卑劣な連中は困らせてやればいいわけです。

すると彼等は前にやった同じネタを再度繰り返すようなことをするわけです。有田モトコに「これ前にやったじゃん。またやんのかよ。」と言っても「いいんです!」という調子で。

おそらく彼等なりに「コイツにはこの話が効くんじゃないか」と考えて何度も繰り返したのでしょう。最大で同じネタを3回聞かされました。

自分としては、一度聞いて既に頭の中で自分なりに整理がついていたネタをやってくれればストレスにならず助かるわけです。ざまみろバーカ!

一度滑稽だったのは、有田モトコが脱会説得のためのネタをトークしている時に、その話が全然論理的になっていないのに自分では論理的だと思っているらしくて、一生懸命なのはわかるけど、聞いている方としては「コイツきちんと自分で解って話してんのか?」という事があったんです。

気の毒だけどあれでは原理講論をきちんと読みこなす国語力はまず無かったでしょうね。人を説得しようと思ったら、ただ負けん気が強いだけでは駄目なのよ、モトコちゃん。

統一教会では、「自分の先祖がクリスチャンを迫害したから、その罪滅ぼしで自分がクリスチャンから迫害されるのだ。だから甘受して迫害する者を愛さなくてはいけない。」という考え方があり、私もそう思っていました。

そこで心の中では船田牧師を「このクソ野郎が!」と思っていても、一応「先生」と呼んでやっていました。しかし奴がいない時、親族の前では奴のことを一貫して「船田のジジイ」とか「あのくたばりぞこない」と言っていました。

キリスト教の牧師と言えば神学大学とかミッション系大学の神学部出身なんだろうけど、言っちゃ悪いが、学力の優秀な人はまずそんなトコ受験しませんからね。

他の統一教会信者はどうか知りませんが、私個人は内心では日本の牧師なんて頭脳の面でも良識という面でも全然大したこと無いヤツがなるんだろう、だから人権を無視したこんな卑劣な監禁指導や脱会説得も平気でやるのだ、奴等はIQ低いに違いないと思って、心の底から軽蔑していました。

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9. 親族とのやりとり

親族は話し合いをしようと持ち掛けますが、私は不当に監禁され外部との接触を絶たれた不公平な状態での話し合いには一切応じないという態度を変えませんでした。話し合いがしたいなら俺をまずここから出せということです。彼等はそれは出来ないと言いますから、「じゃ話し合いは有り得ない」と突っぱねました。

統一教会の教義を親族に講義してくれとも言ってきましたが、批判しようという動機しか持たぬ者に誰が講義なんかしますか?私はお人好しのロバじゃありませんから、一切講義もしてやりませんでした。

彼等は人権を無視した不当な事をしているのに、被害者のこちらがそんな連中の主導であれこれしてやる必要など全く無いと思いました。ただでさえこちらは不当に身柄を拘束されて不公平で不利なのに、この上彼等に主導権を渡す必要など無いわけです。

それで親族は仕方なく自分達だけで原理講論を読み始めました。私もたまに機嫌が良い時は質問に答えてやったことも有りましたが、基本的にほったらかしにしておきました。

親族は私を騙して暴力的に拉致し不当に監禁していることや、私達夫婦の幸福な家庭を引き裂いていることにかなり後ろめたさはあったようで、その点は監禁中も何度も私に謝罪しました。しかし私を解放するのかといえばそうではなく、「愛しているから心配してるからやったんだ、だからいいんだ。統一教会をやめるならいつでも出してやる。」という主張でした。

愛している、心配してると言えば、何をやっても構わない、許されるという短絡的な考えです。私は「いくら心配してる愛してると言っても、一般的社会通念から見て相当性の範囲を超える手段、方法によるならばそれは許されない。犯罪だ。刑法上の逮捕・監禁罪だ。」と言いました。

また「刑事事件の被疑者になれば警察でまず身ぐるみ脱がされ丸裸にされてケツの穴までほじくられて調べられるんだ。お前らもそういう目に遭え!ブタ箱に入れ!」と言ってやりました。(ちなみに私はそういう目に遭ったことは有りません。念のため。)

また、「統一教会のことをマインドコントロールとか言うが、統一教会は人を拉致監禁して伝道することなんかしない。このように外部との接触を一切絶たれた閉鎖的空間に自分を閉じ込めてキリスト教牧師の話を聞かせて説得するお前らの手法こそ、まさにマインドコントロールではないか!」と言いました。

ちなみに妻も千葉で監禁されていた時に同様のことを何度も親族に話したと言っていました。これはIQの低いキリスト教徒はともかく、良識ある人々には説得力があるはずと思います。

しかも妻と私は成人ですし既に家庭も築いていたんですから、それを親族が引き裂いて別々に監禁するのはメチャクチャです。でも結局、統一教会が嫌いな親は子供が脱会してくれさえすればそれでいいんですよ。手段なんか構わないわけです。

叔父が「お前は氏族メシア(注5)なんだろう。ここでそれをやってみろ」と冷やかすように言ったことがあります。瞬間、ブチキレて怒鳴りました。「何だと!俺はそんなお人好しじゃねえ!誰が豚に真珠をくれてやるか!豚は死にやがれ!」

それにしても、品の無い台詞だこと・・・。卑劣な拉致監禁行為に対する怒りと、何ヶ月も閉鎖空間に閉じ込められるストレスとで、精神的にかなり危なくなって相当すさんでいたんだと思います。

*(注5)氏族メシア:統一教会では、教会員は皆、親族の救い主にならねばならないとされる。

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10. 解放へ

私が一向に脱会する様子が無いので、ただ一人狂信的だった母親は別として、それ以外の親族は、牧師を始めとする脱会説得者に失望し始めたようでした。また監禁しても効果が無いならリスクを冒す意味が無いと考え始めたのかも知れません。

叔母は私の両親に「こんな事は人間のやる事じゃない!」と言ってましたし、またしばしば私がキレて暴れるのを見て小心者の叔父などは「これ以上あいつを怒らすと何するかわからんぞ。」と両親に言っていました。

また別の叔父は、私が「あんなアホ牧師の話を聞いて俺が脱会すると思うのか」と尋ねると「最初から駄目だとわかっていた。」と言っていました。

4ヶ月経った頃、狂信的な母が一番頼りにしていた伯父が、私に「勉君よ、どんな気持ちでいる?」と聞くので「はらわた煮えくり返ってるに決まってるじゃねえか!」と答えると、「そうだろうなあ・・・。そうだと思う。」と言うのです。またしばらく日が経ってから彼が「もうこんな事は終わりにしよう。俺が皆を説得する。」と言いました。

それで彼が親族を招集し、私も過激な事はやらない、のめりこみすぎないというのを条件に、5ヶ月ぶりに解放され、アパート(当時:新宿区中落合)に帰ることとなりました。

アパートに着くとお隣の奥さんがびっくりした顔で話しかけてきて、突然夫婦そろって姿を消してしまって、何ヶ月経っても帰って来ないので、一体どうしたのかと、何か事件に巻き込まれたのかと、近所の人達が皆うわさしていたと言っていました。

また、何か事件かも知れないということで警察が大家と一緒に部屋に立ち入って調査をしたんだとも話してくれました。その奥さんが「交番に行って無事だと言ってきた方がよいのでは?」と言うので、一応交番に顔を出しますと「おお、あんた、あそこのアパートの住人か!生きてたのか!良かった!奥さんも生きてるな?」と言われました。

警官の話では、私達の部屋に鍵を開けて立ち入るに当たって、大家は「プライバシーの侵害だ」と躊躇していたそうですが、「何馬鹿な事言ってるんだ!事件だったらどうするんだ!中で部屋の住人が死んでたらどうするんだ!」と一喝して一緒に中に入ったとのことでした。要するに、人が突然姿を消してしまうということは、これ位に異常な事なわけですよ。

その後、その伯父と両親と私で妻の実家(群馬県多野郡上野村)に行き、軟禁中の妻を帰してくれるように交渉しました。

妻側は両親と兄、姉が対応し、妻は小さくなっていました。「今後、家庭をどうするかは久美子と勉君が決めれば良い」と、監禁中に妻の父親からもらった手紙にも書かれてましたので、希望を持っていたのですが、妻の兄と姉は家庭を引き裂くこともやむを得ないという姿勢で、「まずお前がちゃんと定職に就け(*私は監禁前はある国家試験の受験生で、妻に食わせてもらっていたのです)。

それと、今後お前等が統一教会の人間と接触しないですむよう引越しもしろ。それが完了するまで久美子は返さない。」と言って追い返されました。妻の実家に着くまでは「これでひと安心だ、やっと元通りの生活に戻れる。」と思って、実際かなり希望を持っていただけに、その時はひどく精神的に打ちのめされて、心労から帰りのバス停でも東京駅でも気分が悪くなって吐き気を催し、トイレでゲーゲー嘔吐しました。

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11. 終わりに

それから慌ただしく求職活動をして、何とか携帯電話会社での派遣の仕事を見つけました。最終的に妻が解放されたのは3月に入ってから、拉致監禁されてから半年後のことです。

更にその後、前述の兄姉のごり押しで引越し(中野区中央へ)もしなくてはなりませんでした。始めたばかりの慣れない仕事をしながら、夜は妻と二人で徹夜で荷物をまとめたりアパートの掃除をするのは正直キツくて辛かったですね。

私の左手の甲には、拉致された時に暴れてガラスで怪我した傷跡が今も残っています。子供がたまに「お父さん、この傷どうしたの?」と聞くのです。「ああ、これ、ガラスで切ったんだよ」 「痛くなかった?何してる時に、どうして切ったの?」・・・もうこうなると何も答えることができません。

私がキレやすい性格でしかも根に持つタイプということもありますが、拉致監禁されて以来、全く親族を信用しなくなりましたし、解放された後も10年くらいは親族を許せませんでした。

さすがに今は、特に父は私を騙して拉致監禁したことを心から悔いていますから、ようやく親族を許そうという気持ちになってきましたが、解放直後の頃などは、まだ怒りが全然治まらず、監禁関与者全員、口の中に手榴弾をねじ込んで頭を吹き飛ばしてやりたいと思ったし、ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害したアウシュビッツのような強制収容所に、全ての監禁関与者をブチ込んでやりたいとよく思いました。

また妻の親族とは私はいまだに交流は全然ありません。妻の親族はここ3~4年位の間に父、兄、姉の亭主と、男3人がたて続けに死亡し、また母は認知症で施設に入りました。あくまでも個人的な考えですが、私はこれぞまさしく天罰であろうと思っています。

しかしいまだに天罰が下されずにいる悪党がいる。拉致監禁を教唆し幇助した牧師やキリスト教徒に鉄槌を打ち下ろさねばならない。

でも拉致監禁を実行したのは親族だから、まず親族が刑事事件の被告として裁かれない以上、教唆・幇助の彼等悪党は安泰です。「法は家庭に入らず」と言っても、親が子を虐待すれば問題になるし、殺せば殺人犯になるのに、被害者が嫌われ者の統一教会員の拉致監禁だと何故事件にならないのか?!ナゼ監禁罪にならないのか?ナゼ警察はスルーなのか?はらわたが煮えくり返って死んでも死に切れないのが正直な気持ちです。

人権蹂躙された痛みは、同じように人権蹂躙された人にしか解りません。「怨讐を許せ、愛せ」は信仰の基本原則ではありますが、私があの悪党:牧師とキリスト教徒を許し愛すのはたやすいことではありません。

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