2009
9/10

16年前に経験した拉致監禁体験が原因で PTSDと診断された方の報告(2009年9月)

当会の会員の方で、16年前に経験した拉致監禁体験が原因で最近(2009年9月)PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、この心の障害と向き合って生活されている方から貴重な報告をいただきました。本人に了解をいただきましたので、ほぼ原文通りではありますが、プライバシーにかかわる部分のみ加筆修正させていただき、掲載します。保護説得(拉致監禁のこと)による強制脱会説得で、同じような症状にお悩みの方に参考にしていただきたいと思います。また保護説得を実行されようとしているご親族の方、牧師の方々にもお読みいただき、再考いただけますよう強く要望いたします。

1993年6月、拉致監禁による強制棄教を体験したNさん。その重たい経験から16年の歳月が過ぎた2009年の夏、被害者の一人として拉致監禁問題解決のための活動を始めると、経験したことのない異変が心身に現れるようになる。自己コントロールが限界を超え日常生活に支障をきたすに及んで、悩んだ末、意を決して心療内科の医院を訪れる。医師の診察の結果、16年前の拉致監禁体験が原因のPTSDと診断された。
Nさんの拉致監禁体験の証言はこちらN・Y男(当時21歳)の証言

以下、Nさんの報告です。

1.最初の病院

Aさんより医者の紹介を受けました。
10日(土)の午前にB先生に診察していただきました。診断ははっきりと聞きませんでしたが、会話はPTSDが前提だったと思います。フラッシュバックが生じたときに飲む薬の処方を受けました。(常用のものはもらいませんでした。)
相当の長文となってしまいましたが、今までの経緯も含めてまとめてご報告いたします。PTSDの疑いがある人に参考になればと思い、書きました。関心のある方はご覧ください。

Cクリニックというところで9月中旬の出張の前に9月4日と11日と二回、診療を受けました。8月のアメリカ出張で調子を崩し、精神的な症状だけでなく、会議中に涙を抑えきれない、呼吸や動機が乱れる、普段からも湿疹がでてくるなど外的な症状もあらわれたからです。また、欧米の渉外の責任を任されるようになり、このまま続けると危険だと感じ、医者の診断を受け、診断書を受けて上司に相談しようとも考えました。

ネットで調べ、職場がある渋谷の病院に行きました。ここは何人かの心療内科や精神科の医者がいます。その中で男性が担当になりました。この問題は初耳のようで、興味深く(どちらかというと親身というよりは好奇心で)聞いていました。私としてはあまり信頼できると思える医者ではなかったです。

軽い抗うつと診断され(正式名は診断書が手元にないので忘れました)、薬がほしいかと聞かれました。私はまずは診断書をお願いし、薬に対する抵抗感を述べました。宗教問題に詳しいカウンセラーを紹介できると言いましたが、それをやっていくには相当のお金がかかりそうでした。

ずっと薬を飲み続けるつもりはありませんでしたが、9月のアメリカ出張をひかえ、明らかに症状は良くならないだろうと考え、一度、実験として、薬を試してみようと考えました。

一日に朝と夜に服用するもの、そして調子が悪くなったら服用するものと2種類もらいました。毎日の薬が効き始めるのは2週間かかる、そして最初の一週間は15%の人に頭痛やむかむかするなどの副作用があるが、飲み続けるとなくなると言われました。

私はその15%だったのでしょうか。副作用がもろにきました。拉致問題の仕事が増え、無気力が増え、仕事が手につかず悩んでいましたが、薬のおかげでさらにボーっとし、とてもむかむかして気持ち悪く、頭も痛くなって、本当に何もできなくなりました。二回目の診療には行くかどうか悩みましたが、頑張って行きました。1時間待たされて、それがストレスになりました。

同じ医者に副作用の状況を説明しましたが、飲み続ければなくなるからと、薬の量が増え、さらにもう一種類の薬をもらいました。(胃を守る効果があるとか?)

AさんからうつとPTSDは飲む薬が違うと聞いて、この薬は自分に合ってないし、たぶん間違って処方されているだろうなと、正直うんざりしていましたが、潜在的被害者らのための実験だと勝手に意義づけ、決意して、がんばって飲み続けることにしました。その時にAさんの紹介を受けたB先生の病院に電話をかけ、出張から帰ってきた後にいく予約を取りました。
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2.副作用を抱えたまま再び海外へ出張

9月の訪米副作用を抱えたまま、韓国に出張し、その足で訪米しました。体調が崩れ、最初は疲労かと思いましたが、気が付いたらインフルエンザ(何型かは未確認)でした。3日間、ホテルで寝込み、水分とサプリメントで乗り切りました。とてもきつかったです。(本当に)

3日目に解熱剤を手に入れました。薬を混ぜるのもどうかと思ったし、副作用が一向になくならないことにもうんざりしていたので、うつの薬を飲むのをやめました。

次の日、インフルエンザもだいぶ治り、心の方も結構すっきりしていて、薬を止めて本当に良かったと思いました。しかし、国会やNGOなどの外部渉外に行く直前に、自分が不安定になりそうな危険を感じ取り、緊急用の薬をひとつ飲みました。薬も効いたのでしょうが、相手がとても理解してくださったので思ったほどストレスにはなりませんでした。

また、このころには周囲に自分のPTSDの状況を話していて、実務的にも責任が軽くなっていたのもたすかりました。
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3.B先生と

帰国直後に前の病院のアポがありましたが、敢えて行きませんでした。B先生とのアポまで1週間以上ありましたが、特に問題はありませんでした。10日にB先生と話しましたが、とても親身に聞いてくださり、やりやすかったです。Aさんの紹介ということで、理解していらっしゃったので、あまり背景説明がいらず、すぐに私個人の問題に入ることができたのがありがたかったです。

先生との会話のなかでPTSDに関しての理解が深まりました。フラッシュバックとは幻影とか幻聴だけかと思ってましたが、その定義は広く、その時の状況を思い描いたり、匂いを感じたりするのも、そうだと聞きました。

僕の場合、他の被害者の生生しい話を聞いたりすると、自分の時の感覚が戻ってくるので、違うことを考えたり、気を散らすように努力したりとしていたことを思い出しました。拉致監禁の会議のあと、全体で祈ったりすることがあるのですが、目をつむると、状況が浮かんだり、感情が抑えられなくなるので、目を開けて、何も考えないようにします。

PTSDと言っても、私の場合、その問題から回避してされいれば、生活に支障はなかったので、自分の場合は問題ないと考えていました。(実際は過去10年、自分の情を麻痺させてないと正常に生活できなかった)。今回は拉致監禁問題にかかわるようになって症状が出てきたから、こうして診療にこれるようなりました。

でも、私は診断を受けて思ったのは、拉致監禁を体験した人たちでPTSDが全くない人は相当まれなんじゃないか、ということです。みんな、PTSDであることに気づいていないだけなんじゃないかと。僕自身、ずっと自分の信仰的弱さや霊的問題として目をつむってきたけど、
回避以外の対応があったわけではありませんでした。

今回、専門家に相談することにより、自分について客観的に理解ができるようになり、だいぶ楽になり、希望を感じました。

最初のお医者さんはうつ系の人しか扱ったことがなくて、僕の症状をうつに準ずるものとしか見れなかったのだと思います。こちらからPTSDの話もしましたが、スルーされました。あのまま、あの先生を頼っていたら、僕の症状はますます悪化したと思います。

B先生は自分の話を聞いて、自分以上に自分の状況を把握して下さった気がします。薬も緊急時(フラッシュバック)のもののみをもらいました。初診の診察と薬代合わせて2000円くらいだったでしょうか。最初の病院は初診で6000円をこえ、2回目と薬代など合わせたら1万円こえました。まあ、授業料でしょうか。
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4.今回のプロセスを通して学んだ点、感じた点

・医者は絶対選ぶべきです。
担当になった医者がPTSDがよくわからなったら、すぐに違う医者を探すべきです。PTSDとうつの違いがわからない医者が処方する薬は飲まない方が良いです。僕はこれで散々な目に逢いました。拉致監禁の後遺症はたんなるウツとは違います。

・拉致被害者はみな一度、PTSDの診察を受けたらいいと思います。
「いや、私はそんな深刻ではない」と考えても、専門家により客観的に自分を見てもらうことにより自分に対する理解や付き合い方が変わるでしょう。また、診断を受けていれば、今後、脱会屋に対しても具体的な対応をする道が見えるかもしれません。

・PTSDは治るのか。根本的にはたぶん治らないものだと思います。
うまく付き合うとか、緩和させるとかならできるのかもしれません。

8月までは、自分が被害者だと考えたいと思ってませんでした。もっと前向きに行きたいと思っていたし、両親の方が被害者だと思っていたからです。(実際、監禁後2・3年までは自分が加害者だと思っていました。)。そして、いままでPTSDに関しては回避と抑圧でなんとかしてきたのだと思います。

でも、最近、急激に回避できなくなり、抑圧できなくなり、限界を迎えました。渉外の責任がどんどん自分に集中し始め、もはや自分のペースで調整できなくなり、クラッシュしそうになっていました。今回、専門家に相談し、自分を理解し、周囲にも理解してもらうことにより
私の心身は相当落ち着きました。フラッシュバックなどがあっても対応ができるようになってきました。

いままでは、もう二度と親と話すこともなく、葬式にもでれないんだろうと思っていました。それがどれほど、悲しくても、受け入れるしかないと思っていました。回避をやめて、この問題と直面する機会が増えると苦しくなります。でも付き合い方わかれば、そして周りの理解があればなんとかなるのかなと思います。

親との和解も不可能ではないのでは、と最近ふと思えるようになってきました。また、そのために努力をしたいと少しなってきました。 正直、親と会ったりするのは、いろいろな意味で怖いです。お互いに何がどうなるか予想できない。

先週の日曜日、仕事で韓国に出張しました。話のはずみで拉致監禁の話になったとき、大した話ではなかったのに、呼吸が苦しくなって、軽いフラッシュバック状態になりました。隣の人から心配されて、「大丈夫です」といいながら部屋を出て、薬を飲んで、散歩しました。だいぶ慣れてきたと思ったのに、そんなに甘くはないようです。

PTSDの根が完全になくなることはないでしょう。でも、それとうまく付き合う、緩和させるということは、こうした努力やサポートで可能なのだろうと思いました。

心療内科にいくのはなんか抵抗感がありがちですが、PTSDの疑いがある人、関心がある人は一度いってみることをお勧めします。薬に頼るとかではなく、境地が開かれると思います。ただ、もちろんヤブ医者にはご注意を。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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