2009
11/19

N・Y男(当時21歳)の証言

○事件の年 :1993年

○脱会説得者(所属) :
平岡正幸(日本福音ルーテル教会牧師)

○事件の概要と経過 :

『食事の中で父は、「君が隠している信仰のことを知っている。そのことについて話し合いたい」と言い出しました。さらに父は、「結論が出るまでここにいて欲しい」と言い、私が「結論とはどういうことですか」と聞くと、「君が統一原理の間違いが分かるまでだ」と答えました。そこで私が、「僕が信仰を捨てるまで出られないと言うことですね」と聞くと、父は「そうだ」と言いました。・・・(本文より抜粋)』

N・Yさんの両親は、二人とも学生時代に洗礼を受けた熱心なカトリック信者。N・Yさんは、その両親の影響で、自然とカトリックの信仰をもつようになる。大学1年の冬、統一原理と出会い、通っていたカトリック教会では経験したことのない聖霊体験を経て統一教会に入信する。
息子が統一教会へ入信したことを知った両親は、カトリック教会の神父から、日本福音ルーテル教会の平岡正幸牧師を紹介され、その指導のもと脱会説得を計画。両親をはじめ親族による監禁脱会説得は、ビジネスホテルの7階で以外にも静かに始まった。両親から牧師の話を聞くよう切り出され、初めは拒絶し抵抗するも早く解放されるには、会う以外にはないと諦め、やむなく了承。その後、脱会説得に訪れた平岡正幸牧師の批判は一貫性のない「批判のための批判」に終始。また、た平岡牧師の信仰する福音ルーテル教会と両親が信仰するカトリックの教義の違いから、平岡牧師にある独特の心理が働くようになる。      
なお、この手記はN・Yさんが解放された年に書いたものです。

本文を見るには、以下の緑色の文字をクリックしてください。本文が開きます。

1.カトリック教会で幼児洗礼を受ける

一、経歴

私はオーストラリアのシドニーにて生まれました。家族は父、母、長男、次男の兄がおり、私は三男です。父は某社団法人の職員で、私の出生当時はシドニーで勤務していました。 両親はカトリック信徒で二人とも学生時代に洗礼を受けました。父は明治大学在学中、全国大学連合カトリック研究会に所属しました。現在の仕事も信仰の影響で就いたそうです。兄弟三人とも父母の意向で、生まれて間もなく幼児洗礼を受けました。

 昭和五〇年、両親は私を連れて日本に帰り、神奈川県に住みました。私は日本で、カトリック系の幼稚園、小学校に通いました。カトリック系の小学校では、月曜日から土曜日までの毎朝の朝礼は、二日間が神父による朝礼、二日間が朝ミサ、二日間が祈祷会でした。

両親は鎌倉にあった教会に所属し、私は土曜日には同教会の土曜学校に通って教理の勉強をし、日曜日は礼拝に参加しました。こうした環境に育ったため、私の小学校時代の友人は皆神の存在を信じる人達でした。私は将来は神父になりたいとも思っていました。

 昭和五八年、私は父の転勤で渡米し、ニューヨーク州にあった小学校、中学校に通いました。昭和六二年には帰国し、中学校に三年の二学期から転入しました。中学のときは受験勉強が忙しかったため、あまり教会には通いませんでした。

 昭和六三年、某私立高等学校に帰国子女入学しました。高校時代は教会に毎日のように出入りしていました。平成三年四月、某大学経済学部に入学しました。

二、原理研究会との出会い

 平成四年の二月半ば、大学一年生の冬でしたが、私は同級生の紹介で原理研究会主催の二日間の研修会に参加しました。原理研究会の正式名称は全国大学連合原理研究会で、統一教会の教義である統一原理の研究を目的とした学生サークルです。研修会参加時にはこのことは証しされていませんでした。

研修会では統一原理の講義がなされ、私は講義の内容全般に感銘を受けました。その中でも特に「メシヤ論」にはとても強い衝撃を受けました。この講義はイエス様の使命や歩まれた路程についてのものでしたが、イエス様のイメージがそれまで自分が抱いていたものとはまるで違っていたからです。
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2.カトリックの精神性から統一原理へ

私は「生まれてからイエス様を慕ってきたけれども、イエス様の実際の姿や歩みはまるで分かっていなかった」と思い、悔しさのあまりトイレで一人便器を叩きながら泣きました。私はこのとき「真のイエス様の姿を探して行こう」と決意しました。

 二月後半、私は「再臨論」と題する二時間ぐらいの一こま講義を受けました。この講義では再臨主(再臨のメシヤ)が文鮮明先生であることが証しされました。

私はこの講義の中で聖霊体験をしました。講師が再臨主の名前として黒板に「文鮮明」と書いたとたん、「出会えた」という声にならない声に包まれた気がして、自分が神に導かれているという強い確信を得ることができたのです。この後私は涙が止まらなくなってしまいました。

私は何年もカトリック教会に通っていましたが、カトリック教会ではこのような感動的な体験をしたことはありませんでした。この後講師は統一教会のことを証し、さらに、統一教会の関連団体の名前を黒板に書いていきました。

ところが最後に講師が「原理研究会」と書いたとき、私は聖霊体験から醒めてしまいました。というのは、大学で原理研究会について悪い噂を聞いていたからです。それは、高校時代に同じ合気道部に所属していた一年上の先輩が大学で原理研究会に入り、変わった人間になってしまったというものでした。それでも私は「神の導きがある限り(神の導きが感じられる限り)文鮮明先生について行こう」と決意しました。

講義の最後に講師の祈祷がありました。この祈祷に黙祷をもって参加したとき、二回目の聖霊体験がありました。今度は「これでいいんだ」という声が心の内から聞こえてきたのです。この体験で私の不安はなくなりました。そしてその後三〇分ぐらい涙が止まりませんでした。

私は人生の三つの疑問が解けたことから、統一原理が真理であるとの確信を持つことができました。三つの疑問というのは、第一が、神がいる世の中に何故悪が存在するのかという悪の原因の問題、第二が、姦淫が罪である所以、第三が、絶対的な愛の神と地獄の永遠性という矛盾の問題でした。こうした疑問はカトリック教会では解けなかった問題でした。

 同じく二月後半、私は六日間の研修会に参加しました。この研修会では、文鮮明先生との心情的な因縁を直感し、生涯信仰の道に献身することを決意しました。研修会参加後一旦家に帰ってから荷物をまとめ、翌日、すでに開始していた原理研究会主催の四〇日間の修練会に途中参加しました。この期間、いくつもの霊的(宗教的)体験が積み重なり、私はカトリックの精神性から統一原理に転換していくことができました。

 四〇日修練会は三月末日まで続き、四月一日には原理研究会の寮に入寮しました。原理研究会では伝道活動などの活動に従事しました。家族には私が統一教会の信仰を持ったことは言わずにおきました。いつかは証ししなければならないことだと思いましたが、強い反対が予想されたので、時期をみて話すことにしました。

 父はこの年の秋頃オランダに転勤になり、母も父と共にオランダに行きました。実家は人に貸しました。
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3.日本福音ルーテル教会の平岡正幸牧師が拉致監禁を指導

三、平岡牧師による監禁

 平成五年二月か三月頃、私は春休みを利用してオランダの両親の元を訪れました。このとき私の所持品から両親は私が統一教会の信仰を持っていることに気づいたようです。

 平成五年四月頃、母は私を脱会させる準備をするため私には内緒で日本に帰ってきました。母は日本では東京都港区赤坂にある女子パウロ修道院に滞在していたと聞いています。そこは父方のおばが修道女として所属しているところです。

母はカトリック教会の神父から、横須賀にある日本福音ルーテル教会の平岡正幸牧師を紹介されたそうです。当時は知りませんでしたが、同牧師は、統一教会信者を拉致監禁して脱会させることで有名な牧師でした。母は同牧師の元におばと共に相談に行き、監禁に関する説明を受けたと言っていました。

牧師と母との会話の内容は、母がテープレコーダーに録音しました。これはたぶん父の指示によるものだと思います。父は調査報告書を書くことを仕事としていましたが、この影響で何でも重要なことは記録に残しておく癖がありました。母と牧師の会話を録音させたのもこのためだと思います。

 私は当時大学三年生で、原理研究会では委員長として渉外活動を担当しました。大学の学園祭で原理研究会主催の講演会を成功させることが私の仕事でした。

この年の七月、あともう一歩で渉外活動も成功するところまでこぎつけたとき、私は親から呼び出されました。両親が出張先のオランダから帰ってきたので、会いに来るようにとのことでした。昼間両親と会い、その夜長男や親戚も集まり、計七人ほどでビジネスホテルの七階の客室で夕食をとりました。私は、どうしてレストランに行かないのだろうと不思議に思いました。

食事の中で父は、「君が隠している信仰のことを知っている。そのことについて話し合いたい」と言い出しました。さらに父は、「結論が出るまでここにいて欲しい」と言い、私が「結論とはどういうことですか」と聞くと、「君が統一原理の間違いが分かるまでだ」と答えました。そこで私が、「僕が信仰を捨てるまで出られないと言うことですね」と聞くと、父は「そうだ」と言いました。
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4.隣には兄、玄関には親族が寝る

この部屋には両親の他長男が監禁期間中常駐しました。また、父方のおばと母方のおばも殆どの期間滞在し、私を監視しました。監禁場所では「ドアに近づいてはいけない」と言われた他、監禁されて間もない頃は、「窓に近づいてもいけない」と言われました。

一度トイレに行こうとしたとき、玄関に行くものと勘違いしたおばから「あんたどこに行くの」と言われて止められました。また夜は私が玄関から一番遠い部屋の奥に寝かされ、私の隣には兄が寝ました。玄関には親族の一人が布団を敷いて休み、私が玄関に行くことを妨げました。風呂から逃げようと思って窓から外を見たこともありましたが、隣には何もなく、下に飛び降りる以外にないことが分かりました。

 監禁された翌日は、親族と一日話し合いとなりました。最後に父は、「自分達では話に限界があるので、この問題に詳しい牧師に会って欲しい」と言ってきました。牧師を呼んで私を脱会させようとする両親の意図が分かっていたので、私は「必要ない」と言って抵抗しました。しかし両親は譲りませんでした。結局、牧師に会う以外にその場所から解放されることはないことを悟り、早く解放されるためには会う以外にないと諦め、了承しました。

 親族との話し合いの翌日、もしくは、翌々日、平岡牧師が監禁場所に現れました。同牧師はこの後、礼拝のある日曜日や会議のある日などを除き、週四日位のペースで監禁場所にやってきました。

同牧師は様々な資料を私に見せ、統一教会の教祖批判・教義批判・教団批判をしました。教祖批判・教団批判に関しては、同牧師が私に見せた資料には説得力のないものが多くありました。

一番ひどかったのは、文鮮明先生の次男の興進(フンジン)様が米国で事故死したときの事故報告書を見せられたときのことでした。統一教会では、興進様が運転していたとき、反対車線を走っていたトレイラーが暴走してきて避けきれず、ハンドルを右に切って自らが犠牲になり、同乗者を守ったと言われていました。

これに対して平岡牧師は、興進様は無免許で暴走運転を行ったために事故死したのに、統一教会では事故のことを神話化していると言いました。ところが英文で書かれた事故報告書を見ると、まず、無免許運転欄には何らの記載もなく、興進様が無免許運転ではなかったことが分かりました。

さらに事故の状況の書かれた箇所を見ると、興進様の運転が暴走運転であったことを示す記述は一切なく、逆に、トレーラーがセンターラインを超えてスリップしてきたのでよけきれない状況であったことが記されていました。それは正に統一教会で説明している通りの状況でした。

私の家族も英文が読めたので、「ふーん、大変な事故だったのねー」などと言ってお茶を濁すだけでした。事故報告書が思惑通りのものでなかったのだと気づいた平岡牧師は、「まあ、こんな資料もあるんですよ」などと言って事故報告書をしまい込み、このあとその話題には触れませんでした。

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5.巧みな心理操作をする牧師―「マインドコントロール」は実は牧師の武器

これは私の推測ですが、この事故報告書を見た反対派の日本人が、興進様が当時未成年であったために無免許運転だと思いこみ、また、興進様の車が右側車線を走っていた様子を描いている図を見て暴走運転だと錯覚し、無免許で暴走運転をしていたという誤った情報を反対派の間に流したのだろうと思います。

ところが米国では一六歳で運転免許を取得できるし、日本と違って車は右側運転なのです。こうした誤った情報のために今まで多くの監禁された信者達が惑わされてきたことを思うと、憤りに耐えません。

その他にも同牧師は様々な資料を見せてきましたが、監禁場所で一方的な情報ばかり見せられても真偽を判断できないので、自由の身になってから検討しようと思いました。私にとっては牧師が批判するような外的なことよりも、文鮮明先生との間で結んだ心情的因縁の方がよほど重要でした。

教義批判は牧師の話に一貫性がなく、説得力に欠けるものでした。聖書解釈には聖書の文言に忠実なファンダメンタルな解釈と、聖書の文言に捉われないリベラルな解釈との二通りがありますが、牧師はある時にはファンダメンタルな解釈を、ある時にはリベラルな解釈を選んで統一原理を批判しており、単に批判したいと言うだけの理由でまったく一貫性のない聖書解釈をしていました。

牧師は統一原理を悪意をもって理解しようとしていたので、教義の理解の程度にも限界がありました。牧師はキリスト教会の中でも解釈の分かれるような点について、あたかも牧師のとる解釈がキリスト教会全体の解釈であるかのように説明してくるなど、節操のなさを感じました。「統一教会は人をマインドコントロールする」などと言いながら、統一教会信者に巧みな心理操作をしてくるのはむしろ牧師の方でした。
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6.脱会の手記を強制的に書かせる

私の方は、牧師が持ってきた原理講論(統一原理についての解説書)を読むことが許されていましたが、牧師に反論するためにより深く読み込むことができ、おかげで理解が深まりました。最初の内は牧師の批判に対して反論を試みましたが、監禁状況下で教義論争をしても解放されるまでの時間が長引くだけだということが分かり、それ以降、反論を止めました。

統一協会,統一教会話し合いを進める中で、平岡牧師や両親は監禁場所での話し合いを通して共に真理を探究したかったわけではなく、単に私から「教会を辞める」という一言が聞きたかっただけだということが分かってきました。そこで私は統一教会の間違い、及び、統一原理の矛盾点を指摘して、「原理研究会を辞める」と言いました。

私としては信仰を止める意思は毛頭ありませんでしたが、組織を辞めることには何の抵抗もありませんでしたので、このように言ったのです。平岡牧師は私のこの言葉を信用したようです。そして「脱会の手記を書いて欲しい」と要求してきました。私は最初これを断りましたが、他の家族も手記を書くのであれば家族のことをもっと理解できると思い、両親や兄も書くのであれば書いてもいいと言いました。結局私以外に両親と兄も手記を書くことになりました。

手記を書いた後も、両親はすぐには部屋を引き払いませんでした。それでも私には限られた時間一人で外出する自由が与えられました。最初に外出した日に私は原理研究会に電話を入れて、監禁されてきたことを伝えました。さらに、ホテルを引き払う直前にも外出し、家族全員の手記をコンビニエンスストアーでコピーしました。

原理研究会を脱会すると言ってから五日目頃にホテルを引き払いました。拉致監禁に遭った他の被害者と比べると、私が監禁されていた期間はとても短かったと思います。一つには、私の家族がカトリックの信仰を持っていたことに対して平岡牧師に遠慮があったからだと思います。

平岡牧師が私に対して教義の話をしたときにも、カトリックと日本福音ルーテル教会との教義の違いから来る遠慮が感じられました。実際に、例えば平岡牧師は「霊界はない」と言っていましたが、カトリックでは天国・煉獄・地獄といった霊界の存在を認めていました。
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7.平岡牧師の招きで被害弁連集会に出席

四、解放されて後の歩み

監禁場所から出た後は、両親から言われるまま一緒にオランダに行き、大学の夏休みの残りの期間はオランダで過ごしました。その後平成五年九月の新学期と共に帰国し、両親からの指示で某社団法人の子女寮に入りました。

私は監禁場所で言ったとおり、原理研究会を一旦辞めましたが、東京都世田谷区池尻にあった原理研究会の本部には定期的に通い、監禁場所から逃げ帰ってきた人達が集まる祈祷会に参加するなどして特定の人達との個人的な付き合いだけをしました。この後半年ほどしてから再度原理研究会に入会しましたが、卒業まではもっぱら学業に専念し、活動は一切行いませんでした。

平成六年九月頃、私は平岡牧師に招かれて東京で行われた全国霊感商法被害救済弁護士連絡会の主催で行われた統一教会に対する反対集会を見学に行きました。この集会には社会党の山口代議士も参加していました。また観客席には統一教会に対する反対活動で有名な東北学院大学の浅見定雄教授やジャーナリストの有田芳生氏、コンドームを用いた性交を学童に推奨する性教育を行う山本直英氏らが来ていました。

平成七年二月末頃、オランダにいた両親の元に行き、自分に信仰があることを証しすると同時に、原理研究会に献身する決意であることを話しました。両親は納得せず、一ヶ月ぐらい毎日言い争いとなりました。帰国予定日にも私は両親から妨害されて空港に行くことができませんでした。改めて飛行機の予約を取り直し、三月下旬に帰国しました。このとき、私に対する監禁前、及び、監禁中に父の指示で牧師との会話等を録音したテープ約二〇本を持ち帰りました。

五、慶応大学卒業後

平成七年三月二五日に大学を卒業し、その後はアルバイトをして過ごしました。この年の八月二五日、文鮮明先生が相対者(結婚相手)として選んで下さったMとともに韓国のソウルで行われた三六万双の国際合同結婚式に参加しました。同年一一月には某国立大学原理研究会の副学舎長となり、新人の教育を担当しました。

平成八年六月、文鮮明先生から米国にある統一神学大学院の神学生候補として選抜を頂き、原理研究会を退会しました。同年七月には相対者と共に入籍しまし、同年八月下旬には渡米して、九月に統一神学大学院宗教教育科に入学しました。米国では文鮮明先生の礼拝に何度も参加させて頂くことができましたが、文先生からの直接のお言葉を頂く度にこの道は正しかったのだという確信を深めることができました。本年平成一〇年一月には統一神学大学院宗教教育科から神学科に移転し、現在に至っています。
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