2009
11/27

塩谷知子(当時25歳)の証言

事件の年 : 1993年

脱会説得者(所属) :
船田武雄(日本イエスキリスト教団・京都聖徒教会牧師)

事件の概要と経過 :
『そんなある日、母のレポート用紙の中から今回の監禁にあたっての綿密な計画が書いてある紙をみつけました。そこには、私をどの様にしてマンションに連れていくか、マンションでの生活内容、注意事項、親のとる姿勢、お風呂は2人ではいる、など、また、脱会届けを出したあとリハビリが必要なことまで、様々なことが書かれていました。
完全に牧師の指導を受けているとわかるものでした。
それを見たときは、本当にショックで、「もうだれも信用はしてはいけない」と固く心に決めたのです。
そして脱会を決意するまでは、絶対にここから出ることもできないということを、再び確認させられる出来事でした。・・・(本文より抜粋)』

塩谷さんは、大阪の実家に戻ったところを拉致され、京都市内のマンションに監禁されました。厳重な施錠と見張りを中、隙を見て8階のベランダから逃走を試みるも失敗。牧師の一方的な情報の影響と監禁下での強制説得という異常な環境により苦悶する両親。強制的に聞かされる統一教会の悪口、両親の苦しむ姿、牧師に対する怒りなど、地獄のようなマンション生活により塩谷さんの心身は次第に壊れていく。極限状態の中、やむなく偽装脱会を試み、京都聖徒教会での監視付きリハビリ生活に入る。愛する家族に対する思いと、婚約者が待つ統一教会に戻らなければとの焦り・・・その狭間での苦悩と葛藤の末、彼女に一つの思いがわき上がる。意を決して拉致監禁から107日目に京都聖徒教会を脱出し統一教会に戻った彼女。しかし、その後、塩谷さんを待ち受けていたのは、6年間にもわたる新たなアリ地獄のような生活だった。

本文を見るには、以下の緑色の文字をクリックしてください。本文が開きます。

1. 突然の拉致
2. 監禁されたマンションの中で
3. 監禁されたマンションの中で②
4. 偽装脱会
5. 京都聖徒教会で軟禁生活
6. 京都聖徒教会で軟禁生活②
7. 苦悩・・そして脱出
8. 残された心の傷
9. 残された心の傷②
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