2009
11/28

松本拓也(当時27歳)の証言

○事件の年:1996年

○脱会説得者(所属) :
高山正治(日本同盟基督教団・倉敷めぐみ教会牧師)
高澤守(単立教団・神戸真教会牧師)

○事件の概要と経過 :
『しかし両親は、このような状況にさせたのは、「お前が統一教会に入信したからだ!どんなに今まで苦しんだかお前にはわかるのか!」「裏切られたのはお父さんとお母さんの方だ」とはき捨てました。・・・どうしてもここで話し合うのなら、まずこの鉄格子や南京錠を外すように言ったところ、逃げるので駄目だといいました。「私は逃げません、だから外してくれ!!」と何度も言いましたが、お前の信じていた物がもし偽りだったときのショックで精神錯乱状態になり飛び降りたりしたら危ない、これはお前の体の事も考えており「保護」という意味あいもあるんだと理由を言い、むしろ私が大声で話しすればするほど気が狂っているとか、目付が怖い、マインドコントロールされているとか言い、一切私の要望には答えてくれません。話が平行線で通じなく、実の息子の事を信じてもらえずとても悲しい気持ちになりました。・・・(本文より抜粋)』

松本さんは、広島の実家に帰省中、親族で話し合いをしようと両親に誘われ、そのまま岡山市内のマンションに連れていかれ、監禁される。家族だけで準備したとはとても思えない鉄格子など大がかりでかつ、細部に亘って周到に改造された監禁部屋、当時では珍しい携帯電話での秘かなやり取りなどから、キリスト教の牧師が家族の背後にあって主導していることを確信する。
監禁から2カ月が経ち、心身に異常をきたし始めたころ、意を決して実力で脱出を試みるも無残にも失敗。その後、監視が強化される中、やむなく偽装脱会を試み、監視付きの倉敷めぐみ教会でのリハビリ生活を強要される。そこで開催された脱会説得のための父兄集会に松本さんと共に参加した松本さんの母親は、自らの体験を証しし、父兄の一人から牧師に払う謝礼金の額を尋ねられ「100(万)」と証言したという。
監禁体験から、10年以上の歳月が流れ、今の松本さんには、愛する妻と3人の子供がいる。しかし、今でも、再び監禁されるのではないかという恐怖心がどうしても離れないという。拉致監禁により失われた家族との関係を取り戻すため、そして、これ以上、拉致監禁の被害者を出さないようにするため、松本さんは重い心を奮い立たせている。

本文を見るには、以下の緑色の文字をクリックしてください。本文が開きます。

1.白昼数人の男性から羽交い絞め

大阪の松本拓也と申します。
1969年9月21日生まれ、1995年36万双祝福を受け、3人の子供がおります。

私は1996年10月15日の日曜だったと思います。実家のある広島に帰省したときに拉致監禁されました。私は白昼数人の男性に羽交い絞めにされ1BOXカーに無理やり押し込められたのではなく、自ら監禁部屋に足を踏み入れたのです。

○帰省

広島には昼前に到着して支部長に今から実家に入ると報告を入れました。

報告後すごく不安な気持ちになったのを覚えております。それは今回帰省するにあたり実家に電話したところ母親が「何日の何時ごろの新幹線に乗って来るのか」何度も確認するように聞いてきましたし、帰省する前日に電話をした時、私が受話器を下ろして切る直前に母親が電話の近くにいた父親に「拓也明日帰ってくるよ」と言った声が小さく聞こえ怪しいなと思っていた事が思いだされたからです。

帰省すると3歳下の弟が実家にいて驚きました。というのは東京で働いていて盆と正月、GWぐらいしか帰ってこないと母親から聞いていたからです。

昼食後しばらくして父親が「お前の今後の事について親族会議を持ちたい」と切り出してきました。突然の父親の発言に驚きましたが、教会の内容を少しでも理解してもらうのにいい機会だと私は感じ承諾いたしました。

すると次に父親は「実家では電話が掛かったり、人が尋ねてくるかも知れない、真剣に話し合いをしたいので他の場所で行いたいのだが、いいか」と言ってきました。それを聞いて最初、私は別に電話や人が尋ねてくるくらい問題ないのではないかと思いましたが、両親も真剣だと感じ、その用件をのみました。

するとしばらくして父の義理の弟とその息子が車で尋ねてきてその車に父と弟、父の義理の弟とその息子、私合計5人の男が乗車し出発しました。

しばらくして父に車中でどこまで行くのかと聞いたところ、行けば分かるだけで詳細は教えてくれませんでした。車中でも誰一人として会話することなく今振り返ってみればそこでおかしいなと気づくべきでした。

○監禁される

約1時間高速を走り、岡山県に入り倉敷近くだったと思いますが高速を降りました。岡山にも親戚がいるのでそこで話し合いを行うのかとその時は思っていました。

インターを降りてしばらくして車はある場所でとまりました。そこはまったく来た事のない場所でしたが、車から降りると、見慣れた顔が飛び込んできました。なんと親戚一同が列をなして私を迎えてくれました。

私は親戚の皆さんに軽く会釈しながらあるマンションの階段の前まで進んだとき、父親が階段を登るように言ったので素直に従い3階のある一室に入り、靴を脱いで奥の部屋に入った時この部屋の異常さに気づきました。

窓は目隠しがなされ、鉄格子がしてあり、まるで牢屋同様だったからです。そして初めて「ウソ!やられた、監禁された」と思いました。私の家は大丈夫だろうと思っていたのでショックでしたし、これから来る体験したことのない恐怖で体が震えて来ました。

表に沢山いた親戚はいなくなり、部屋には両親と弟と私の4人のみとなりました。「なんなんここは!!」と上ずって興奮した声で私が叫ぶと動揺している私に母親がジュースを差しながら「教会の事を含め今後の事などいろいろ家族で何日かかるかわからんが、納得のいくまで話しあおうと思っている」と言ってきました。

私は断りました。「これは監禁だ、監禁は、親子といえども犯罪だし、こんな事すると一生恨みになるし親子の関係もズタズタになるし、こんな異常な環境や親に裏切られたという今の僕の精神状態ではとても応じることはできない」と答えました。

しかし両親は、このような状況にさせたのは、「お前が統一教会に入信したからだ!どんなに今まで苦しんだかお前にはわかるのか!」「裏切られたのはお父さんとお母さんの方だ」とはき捨てました。

○牧師を呼ぶための伏線

どうしてもここで話し合うのなら、まずこの鉄格子や南京錠を外すように言ったところ、逃げるので駄目だといいました。「私は逃げません、だから外してくれ!!」と何度も言いましたが、お前の信じていた物がもし偽りだったときのショックで精神錯乱状態になり飛び降りたりしたら危ない、これはお前の体の事も考えており「保護」という意味あいもあるんだと理由を言い、むしろ私が大声で話しすればするほど気が狂っているとか、目付が怖い、マインドコントロールされているとか言い、一切私の要望には答えてくれません。話が平行線で通じなく、実の息子の事を信じてもらえずとても悲しい気持ちになりました。

そして私は「どうせキリスト教の牧師の指示で息子の事は聞くなといわれているんだろ」と言ったところ、牧師は関係ない、これは親子の問題なので、お父さんお母さんが相談して自主的に行っているといっていましたが、鉄格子や南京錠、トイレや風呂の鍵が細工されて内側からかからないようにしているなど到底両親だけで実行したとは思えず、絶対専門家やキリスト教牧師が絡んでいると思い、対策講義で反牧の事はしっていましたが実際体験するのは初めてなので、牧師がいつ来るのか毎日おびえながら過ごしましたし、それは同じように拉致監禁された兄弟姉妹が退会して出てきて顔付が変わって統一教会に激しく反対している様子等を見ていたのでもし、私も同じようになってしまうのかと思ったからです。

監禁され数日間「出せ」『出さない』の繰り返しでした。「話し会いに応じないと永遠に続くぞ」と親も言っており。あるとき弟が「信じているのが本当に正しければ、家族を納得させてみたらどうだ、納得したら出してやる。」と言ったのを聞き、私は「むっと」して私が導かれた内容や原理で感動した内容など話したり、ペーパー講義や家族が質問する内容に答えたりしましたが納得がいかない様子でした。このように親が一緒になって子供の信仰している教理や内容を理解をしようするそぶりは、牧師が介入するチャンスを得るためのものであり、私がキリスト教牧師をこの場所へ呼ぶために承諾を得ようと仕向けている作業だったのです。

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2.すべて牧師に筒抜けに―偽装脱会以外に道なし

○キリスト教牧師現る

7日がたったころ「お前の説明も理解できる部分もあるし理解できない部分もある、聞いてみると統一教会でも聖書もあつかうのでキリスト教の牧師を話し合いの場に同席してもらってもいいか」と言ってきました。私は断りました。

家族の話し合いと言ったのになんで関係ない第三者が入ってくるのか、そっちがキリスト教の牧師を呼ぶんだったら、私も統一教会の牧師を呼んで、そして両方の牧師の意見や見解を両親も聞いて、もし私が統一教会の牧師よりキリスト教の牧師の内容に納得したら統一教会を信じる事を考え直してもいいと提案しました。

が、両親からは「統一教会の牧師をここへ呼ぶことは出来ないし、話を聞くつもりはない、それは、世間一般で統一教会をカルトと呼んでいるので正しい宗教と認めてないから」と言われました。また「お前は牧師の話を聞くのが怖いのか? そんなに話を聞いただけで揺らぐのか、揺るがないのならいいではないか」と言い、完全に私の要請を聞きません。

ようするに家族の話し合いや、統一教会のことを詳しく理解したいという気持ちは家族には最初からさらさらなく、結論は決まっているのです。私が統一教会の信仰をやめること、または偽装退会する、それ以外にこの異常な環境から抜け出すことは出来ないのだと改めて感じたのです。家族の口車に乗せられ講義や質問に答えた数日間がむなしく思えました。

キリスト教の牧師は来る必要はないと何度もいいましたが、結局10日目ぐらいに高山正治(現倉敷めぐみ教会)というキリスト教の牧師が毎日のように数時間来ては、原理の批判、聖書の解釈の違い、お父様のスキャンダル、裁判の問題、元信者の証言などありとあらゆる事をてんこ盛りに話していきました。牧師の話す一つ一つに家族がうなずいたり、驚きの声を上げていました。

あるとき、私がお風呂(シャワー)に入っている時、浴室の天井の換気扇を外して外に出られないかと思い浴室を調べていたところ、部屋の南京錠を外す音がしました。この行動は私が風呂に入るたびごとに何度かしたので、一度ものすごく早く出てみる事にしてみました。すると父親と弟は居間にいて母親は部屋にはいませんでした。

しばらくして部屋をノックして父親が南京錠を開け母親が帰ってきました。その手には当時は珍しい携帯電話を持っていたのです。その時私は牧師に「ほうれんそう」(注:報告、連絡、相談のこと)しているなと感じました。

そのことは後日実際母親に聞いてみたところ否定していませんでしたし、母親が私に「原理で一番感動した内容はどこ」とか聞いてきたことがあり、私が「堕落論」と答えたことがありました。すると次の日牧師が話す内容が「堕落論は間違いである」といった内容のだったりしたからです。

そのことがあり私の周りにいる家族は肉親だけど、すべて牧師に筒抜けになっていて、心を許し、信じることが出来る人たちではないと改めて感じ、孤独感を感じ牧師や家族に対してどのように対応していいのか悩みました。祈ろうとしても祈れない状況でした。
ものすごい迫力の高澤牧師

○二人目の牧師現る

高山牧師の一連の教理批判や統一教会や真の御父母様の批判、中傷罵倒が終わり、私の反省の色がないと見ると、高山牧師がもう一人連れてきました。高澤守という神戸真教会キリスト教の牧師でした。

あとでわかったのですが、牧師は全国で横的に連絡を取り合って情報交換しており、時には地域を超えて応援に駆けつける場合がしばしばあるみたいです。

私が監禁されたのちの約半分以上はこの高澤牧師が私のところに来るようになりました。

高山牧師は淡々と話すのに対して高澤牧師は抑揚をつけ主管力がある牧師と感じました。両親はこの高澤牧師なら息子をマインドコントロールから解放してくださると希望を持っていたみたいです。

高澤は私に会うなり「私は外で原理を30年やっているが、知れば知るほど原理が間違いであると確信が強くなる、お前も原理が間違っていたら腹切る覚悟はあるか」とすごい迫力で聞いてきました。そして家族にも「原理信仰しているやつは命かけてやってますので、家族もそのような覚悟で挑んでくださいと」叱咤していました。

高澤牧師は「統一教会員は自分の頭で考える事ができないように訓練、指示されている(マインドコントロール)ので、自分の頭で考えるようになれば誰でも間違いに気づきます。ただ統一教会員はうそをよくつくから気をつけなければいけない。」と言ってました。

また教理批判や統一教会や真の御父母様の批判を一通りやり始めました。

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3.両親も疲労困憊-父親が「もうやめよう」と弱音

○脱出を試みる

親子なのに両親を、兄弟なのに弟を、全く信じることができず本音で話ができなで、いいつも緊張した状態の中で、胃がきりきり痛む日々が続いていたのでたびたびトイレに行っていました。胃が痛いからという理由もあるのですが、唯一人になれ心を落ち着かせる事が出来る空間だったのです。

気めいる日々が続いていましたが、自分の気持ちや感情を正直に言えば、弱みを見せてしまい、立場が不利になるように思えたので、牧師や家族には言葉や表情に表さず、無関心、無表情を装っておりました。

でもこの状態が永遠に続くのかと思うと、気だけが焦り、何とかして抜け出したい、でも誰も助けてくれない環境の中で、たった一人でどうしたらいいのか祈ったり考えたりしておりました。が、監禁されちょうど60日過ぎたころ、親との対話も歩み寄る気配は一向になく、だんだんお互いいらいらし始め、私もUCの批判ばかり受け、霊的にだいぶダメージを受けており、家族と2か月近くも寝食を共にしながら生活をしてきて、両親もかなり疲労している状況でした。

父親が「もうやめよう」と弱音を吐きました。母親が「何いってんの、私たちが諦めたら、拓也は戻ってこれないでしょ、宗教より家族の愛で目を覚まさせないとだめでしょう、きっとわかってくれる、お母さんは戻ってくる事を信じてる」と夫婦で励ましあい頑張ろうとする姿を見ると泣けてきましたが、その時も涙をこらえグッと感情を抑え平然をよそおっておりました。

牧師から一方的に統一教会の悪いうわさだけ聞かされ、不安を募らされ、世間体や地位も名誉も全て捨てて、これに取り組んでいる家族も可哀想で、もうこれ以上長引かせたらお互い危ないと思い、ある日脱出を試みて見ようと思いました。玄関の手前に木でできた扉(押し戸)があり、そこのドアノブに鎖がしてあり、南京錠がかけてあったのです。扉自体に鍵はなく、後から監禁するためにつけた外付けの鍵だけだったので、扉自体に自分が体当たりするか、外付けの鍵かドアノブをハンマーか何かで殴れば壊れるのではないかと思い、実行してみようと思いました。

○脱出失敗、監視も強化

失敗すればより監視が強くなるので、慎重に進めていかなければならないと思い、調査したところ、週2回母親と弟が昼間に外に買い物に行くことに気づきました。大体15分~20分ぐらいの時間、父親と私2人きりになる時があり、最初緊張していたのか起きて私を監視していましたが、2ヶ月がたったころ、進展がなくなりはじめてきたころになると、買い物に出ている時に父親はうとうとする事が多くなりました。

私はこの買い物にいっているこの20分間に台所の扉を開いて、何かハンマーの代わりになるような物はないかと探したのですが、包丁はもちろんフライパン、調味料、洗剤もありませんでした。(これも牧師の指示で隠していた)ある時いつものように台所周辺をこっそり物色していたとき、なんとフライパンがあるではありませんか。これは天の助けと思い、いよいよ計画を実行しようと思い扉の前まで行き、思い切りよくフライパンをドアの外鍵めがけて叩きつけました。

が、鍵は無情にもびくともせず、壊す事ができませんでした。最初の物音で父親が飛び起きてきて、私の背中を羽交い絞めにして「何しとるんや」と叫び、私も父親の手を振り払い、もう一発叩こうとしたのですが、狙いが外れて失敗してしまいました。そうこうしているうちに、母親と弟が買い物から帰ってきて万事休す、私の逃亡計画はもろくも崩れ去りました。

この事件後監視の目は厳しくなったのは言うまでもありません。

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4.偽装脱会しかない―いろいろな角度で試す牧師

○偽装脱会

最終的に私が統一教会の信仰を捨てずにここから出て行くためには、偽装脱会しかないと思っておりました。しかし偽装脱会だから本当に脱会してない状態で「間違いに気づきました。文鮮明先生は再臨のメシアでも何でもありません。だから私は脱会します。」と急に言っても、高澤牧師は私の心をすべて見透かされているようでした。

私の話す一言一言を本心から言っているのか確認しながら聞いているようで、じゃあ何で間違いと思ったのか理論立てて説明をしていかなければならないので、投げかけてくる質問に対してどう返答していいのか苦慮しました。

最初、脱出事件後「なんでこんなことをしたのか」と聞かれたときに、「もうこれ以上牧師の話を聞くと信仰が揺らぎそうで、実行しました」と話しました。このとき、どういう話を聞いて信仰が揺らいだのか、説明してほしいと言われ、いろいろ聞いてきました。

高澤牧師はそのときどうとらえたかわかりませんが、「このような話をされて、あれっと思ったんです。」と私が話したのがきっかけで、高澤牧師が、こいつは本当に信仰を失ったのか、統一教会の信仰を間違いだと思っているのか、いろいろな角度で私をためしてきたのです。

高澤牧師が私に投げかけた質問、つまり踏み絵の内容はすべて覚えているわけではありませんが、最後にとても印象的な質問がありました。「貴方は祝福を受けていますが、相手の方をどう思いますか?」と質問されたとき、素直に「美人でかわいいです。愛してます」と言いました。

このとき、しばらく高澤牧師が沈黙して、「お父さんお母さん大丈夫です」、私は「エッ、何が大丈夫なの」と思ったのですが、高澤牧師が言うには、「マインドコントロールされている統一教会員は祝福を受けて、その相対に対して何の感情も湧かない。それは教祖が決めた宗教上のカップルだから。初めは何の感情もない者どうしが結ばれ、徐々に感情が付いてくる。だから今息子さんが言った『美人、かわいい、愛してます』という感情はマインドコントロールされている状態ではない。よってもう大丈夫である」と言ったようです。

私はそれを聞いて笑いをこらえるのが必死でした、にやけた顔を見せてはいけないので、顔を下げていたら、さらに高澤牧師は、「お父さんお母さん、今息子さんは自分が青春を掛けて信仰していたものが間違いであることに気付いて、大変落ち込んでいます。そっとしてあげてください。」と言いました。

だぶん笑いをこらえるのに頭が微妙に震えているのを見て泣いていると勘違いしていたのかもしれません。喜びのあまり家族で抱き合って泣いていました。私は泣いていませんでしたが。

○脱会書の中に秘めた「合図」

ちょうど、年末の12月27日ごろだったと思います。母親がこれで安心して歳を越すことができますと言っていたのを覚えています。

その後、脱会届けを書きました。最初に名前を書いて、最後に宛名を書く所に責任者の名前を書く欄がありました。そこに私は現責任者の名前ではなく、前の責任者の名前を記入しました。理由は、「私は信仰を捨てていません、落ちていませんよ」という合図をしたかったからです。

後日責任者に聞く機会があり、尋ねたとき、名前が違っていたので、おかしいなと思っていたらしく、もしかしたらと思ってくれていたみたいです。

霊の親と祝福の相手にも手紙を書くようにすすめられましたが、住所が分からないといったら、大丈夫調べておくからと言っていました。

なぜ、偽装脱会できたのかいまだに不思議でなりません。私が迫真の演技だったから? 牧師があせったから? 途中牧師の言葉に主管され、実際「えっそんなこと初めて聞いた」と思ったことや、些細なことで組織に対する不信、アベルに対する不満が出てきたときもありました。しかし、いったんこの異常な環境から出て教会責任者に聞いてみよう、まずは必ず生きて出ることしかないと思いました。

また実践(伝道やF)で出会った神様は、忘れる事が出来ない紛れも無い事実だし、反対牧師に対して許すことが出来ない思い、 生きて出てこのような事態を繰り返してはならないという思いがあって、出てこられたのではないか。もちろんそのような私の気持ちをご覧になられていた神様の導きがあってこそなせる業です。

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5.牧師にとって“いい商売”の高額感謝献金

○リハビリ

脱会届を出し、偽装脱会した後もしばらくマンションから自由に出してもらえず、高山牧師の岡山めぐみ教会へリハビリに行くときだけ両親と外出が許可されました。

日曜日には礼拝に参加し、初めて礼拝に参加した家庭として紹介されたり、これから拉致監禁を準備しようとする家庭の集まりに参加して、母親が証ししていました。そのとき牧師に払う費用(感謝献金と言っていました)はいくらぐらいかかりますかとある婦人が尋ねた際、母は100と言っていました。私はそんなに払うのかと思い、いい商売だなと思いました。

また脱会者同士の心のケアと称して、聖書や原理の間違いを確認する勉強会などにも参加しました。

こうした一連の内容は、今まで真実であると思っていたものが完全に否定され、絶望感に陥り、それが深い心の傷になるので、原理の間違いを完全にしっかりわかっていないと普通の生活ができないし、社会復帰もできないからだということです。そのために宗教、特にキリスト教、聖書の教えを学ぶことを勧めているらしく、元信者、退会者同士の結婚も多いと言っていました。

○親への思いから教会に帰れない元教会員も

リハビリに行くときに逃げることは簡単でしたが、私が、実際教会にもどってくるまで2週間以上かかりました。「家族の情を裏切っていのか?」「親が私のために全てを捨ててここまでしてきた。このままでいれば家族幸せで暮らせるではないか」という心情の鎖でつながれてしまい、それを解く、実際は断ち切るのにとても悩みました。

同じように、脱会者の中にも、実際牧師がいる前では間違いに気付きましたと言ったが、原理が真理かそうでないか、お父様が再臨のメシアかそうでないか分からない、ただそこまでしてくれた親をもう裏切れないし、悲しませたくないからここにいる、統一教会にいたときのほうが目的観があって毎日の生活が生き生きしていたと言っている方もいました。

正月が終わり、まだ不安があるが、数日間だけ自宅に家族で帰ることを許可されました。

わたしは、この機会を逃すと、戻ることができないのではないかと思い、何のために偽装脱会したのか動機に返りました。1月15日 父親にスニーカーを買いに行くのでお金と外出許可をもらい、その足で広島教会に入りました。そして事情を説明すると、ここでは危ないからといって、広島教区にある修練所に連れていかれ、そこで大阪の青年支部からの車を待ち、翌日大阪へもどりました。

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6.「保護説得」は事実上の「拉致監禁」

○大阪へ戻る―妻の聞く姿勢が良い支えに

大阪へ夜中に戻るとすぐに、支部長と東京の大田朝久氏と広講師のところへ行くことになりました。期間は1週間、目的は神側のリハビリを受ける事でした。

もう一度、そこで、原理と聖書との関係、疑問に思っていたことに対して、丁寧に解説してくださいました。その後しばらく、居場所を他の兄弟姉妹には教えずに生活をしていました。あるときは信者の家に滞在したり、またある時は宣教師が共同で住んでいるマンションの一室に滞在したりしました。そのマンションに拉致監禁を知らされた妻が、海外から緊急帰国して滞在していました。妻も拉致監禁の経験者であったので、そこでいろいろ話を聞いてもらい、私としてはとても心情的な支えとなったと感謝しております。

○最後に―これ以上拉致監禁被害者を出さなために

妻の家族は孫ができ、反対はしておりますが、妻の努力により今は自由に行き来できる関係まで回復しております。しかし私の家族は12年経った今も猛反対しており、妻と子供3人もいまだに会っていません。

私はまた監禁されるのではないかという恐怖心と、監禁した家族に対しての恨みがまだ完全に払拭されていないのが現状で、元の家族関係を回復するために家族に働きかけながら、自分自身も変わっていかなければと思う日々です。

キリスト教の牧師や家族は言葉では、「保護説得」という言葉を使いますが、完全に拉致監禁であり、本人の自由意思を全く無視し、「気が狂った者」「犯罪者」のように扱います。このような行為は、人格を歪ませ、破壊し、親子関係をズタズタにし、お互いの精神も身体も脅かす許されない行為です。絶対にこれ以上拉致監禁の被害者を出してはいけないと思います。

そのためにも、既婚婦人、青年の方々を含め、今も拉致監禁されている方がいらっしゃいますし、体験者はこの拉致監禁の異常性と犯罪性を語り続け、統一教会員は意識と関心をもっていかなければいけないと思います。

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