2009
11/20

K・M男(当時28歳)の証言

事件の年 : 2006年

脱会説得者(所属) :
豊田通信(日本基督教団・吹田教会牧師)

○事件の概要と経過 :

『・・・監禁中の私と家族の心境――私は言われたことに対して、何と答えたらよいかわからないという状態が多くなり、家族もだんだんいらいらし始めました。父と母が言い争っている場面もありました。父も会社を辞める覚悟で、監禁が始まってからは一度も外に出ていませんでしたが、実際にやめる可能性が出てくると、受け入れがたいようでした。弟もいらいらしていて、私が弟に殴られたり、水をかけられたり、首をしめられたりしました。母親は涙ながらにCARPには戻らないで欲しいと訴えてきました。考えが変わらないならこのままずっと閉じ込めておくしかない。と言われたり、夜も寝かせない、と言われて夜中ずっと問い詰められたりしました。精神的にも非常に苦しく、このままの状態が1年も2年も続くのだろうかと思い、自分の気持ちも奪われてしまうのかと思うと絶望的な気分でした。・・・(本文より抜粋)』

K・Mさんは、京都にある母の実家に帰るため伊丹空港に到着したところ、大阪市内のマンションに拉致監禁されました。玄関ドアと窓には厳重な施錠がなされる不当な環境下、怒りと憤りで家族や親せきとまともな話し合いができない中、監禁下でのこう着状態を打開するため、意を決して家族の背後にいる牧師を早く連れてくるよう発言。連日訪れる豊田牧師から密室の中で不当な非難と追及を受ける中、家族の心はささくれ立ち、家族間に今まで経験したことのない亀裂が走り始める。やがて、それは回復不能なほどの深い傷となり、今もK・Mさんの家族に影を落としています。自分はどうすべきだったのか?家族はどうすべきだったのか?K・Mさんは、自身の体験を顧みて冷静に分析し「監禁を受けた私自身の心境について」の中で今の御自身と愛する家族の在り方を考察し報告して下さっています。

本文を見るには、以下の緑色の文字をクリックしてください。本文が開きます。

1. 経歴について

○CARP入会の経緯

私は1997年12月末、北海道大学法学部二学年在学中にCARPの先輩に会い、CARPと関わるようになりました。当時は人間関係が苦手で特にサークルなどに入っておらず、また勉強する意義も見つけられなくなり、あまり学校にも行っていない状態でした。このままでは良くないと思い何か始めようと、資格の学校の説明会に行ったりしていて、その頃CARPの先輩に学内で会い、サークルに通い始めました。

初めは、講義を聞いて、どこかの宗教じゃないかと思い、しばらくして統一教会だと明かされた時には、やっぱりと思ってしばらく距離を置いておりました。

しかしサークルの先輩の人間関係に魅かれ、講義の内容も間違ったことは言っていないと思い、合宿に参加しました。その後も様々な体験をする中で神様の存在を実感する事があり、その教えの中で語られる理想の家庭の姿に感動し、本当に世界を一つにしようとしていることを知り、自分も生涯この教えに従い生きていこうと思いました。その後は学校にも通い、卒業後も学んだ事を社会に生かそうと思い資格の勉強をしていました。

よくマインドコントロールと言う言葉を聞きますが、私は合宿に参加する前、また後にもインターネットで統一教会やCARPを批判する情報を調べたことはありましたし、寮生活をしている時も、寮の規則はありましたが日中は普通に学校に通っていて、監視されて情報を操作されて正常な判断を失うようなことはなかったと思っています。

今回家族や牧師に「話し合い」ということでマンションに監禁されましたが、むしろその時の方が冷静な判断ができなくなっている状態でした。とても家族で落ち着いて話し合いができるなんて状態ではない、精神的にただ追い詰められ、拷問にかけられるような悲惨な状況であったことを伝えたいと思います。

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2. 監禁を受けた際の状況について

○計画的な準備による監禁

2006年1月19日、京都にある母の実家に帰るため、飛行機で伊丹空港に行きました。

父が単身赴任で大阪に住んでいることもあり、新大阪駅まで父と母が迎えに来てくれました。

それから、タクシーで父のマンションに行く事になりました。

なぜかなと思いましたが、近いのでちょっと寄っていくということなのかと思っていました。

最近引っ越したということで前とは違う大阪市東三国のマンションでした。

着いて中に入り、かばんを下ろしてしばらくすると、弟とおじ、おばが入ってきました。

びっくりして、そしてかばんがなくなっていることに気付きました。

監禁だと気付き逃げようとしましたが、入り口を数人で塞がれていたので無理でした。

今思えば不自然なことも多くて気付くべきだったと思いますが、親は寮に来てくれた事もあったし、まさか自分の親が監禁するとは思ってもみなくて、安心しきっていました。

帰省する時、父のANAマイレージカードのポイントを使って飛行機で帰ってくるように、その予約の仕方をすごく詳しく手紙で教えてくれていましたが、今考えるとそれも計画の一部だったのだろうと思います。

○監禁を受けた際の気持ち

おじが、真剣に話がしたいので携帯は持たない事にしようと言い、全員が携帯をおじに渡し始めました。

僕は断りましたが、どうにもならないと思い結局渡しました。

基本的に父と母と弟が常にいて、おじとおばも一日置きくらいで来ていました。

近所に住んでいる親戚のおばさんも時々差し入れを持ってきてくれました。

夜も弟がずっと起きていて、常に行動を見張られているような状態でした。

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3. 監禁を受けた際の状況について

外には一切出してもらえず、窓にはストッパーがかかっていて開かず、また窓の前に洋服かけや本棚が置いてあって近づけないようにしてありました。

窓は不透明な割れにくいガラス素材のもので、カーテンがかかっていて外はまったく見えませんでした。

食事やふろは普通にしていて、着替えも準備してくれていたので生活は普通にしていました。

ただ食欲はなく、夜もなかなか眠れない日々が続きました。

予定通り帰りたいと言いましたが聞き入れてもらえず、帰れなくなったことをおばがCARP の寮と国家資格を取得するために通っていた予備校に連絡をしたと言っていました。

最初は、原理講論を親と一緒に読んで、親の質問に答えていました。

しかし途中から答えることをやめました。親が私の言うことをノートにとり始めたからです。

私の言うことをよく理解するためと言っていたがそんな風には見えず、自分としては調書を取られているような気がして話す気になれませんでした。

このような状況では話す気にはなれないし、許せない、普通に会って話がしたいと言いましたが、ここ以外では話すことはできない、どうせ逃げてしまうだろうと言われました。

それでもまともに話をする気分にはなれず、ある時弟の代わりにおじが泊まっている時、夜全員寝ていたのでこっそり逃げようと思いましたが、入り口のドアに、ドアの鍵とは別にダイヤル式の錠がかかっていて出られませんでした。

その他には外につながっている出口はなく、仕方がないのでみんなが疲れてあきらめるのを待とうと思って、本を読んだりしながら特に何もせずに過ごしていました。おじやおば、親戚の人も来て、原理講論の内容を話したり、世間話をしたりしていました。

しかし時々、結婚を自由にできないのはおかしい、親の気持ちをなぜ裏切るのか、偏った情報だけで判断するのはおかしい、と詰められることもありました。

私は、言われたことに対して、答えていったつもりではありますが、それでこの状況から解放してくれるようには思えませんでした。

そして、どうせ牧師が裏にいるんだろうという話を親にすると、はっきり否定もしなかったので、このままでは埒が明かないと思い、牧師を連れてくるつもりなら早く連れてきてくれ、というような話をしました。
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4. 監禁中の状況について

○豊田牧師の関与

1月30日に、日本基督教団吹田教会の豊田牧師がマンションにやってきました。

その後2週間で7回位、来たと思います。

原理講論や、読んだことのない古い文先生のみ言葉の本や説教の内容を見せられ、その矛盾点を説明されました。

また脱会者の証言を印刷したもの、証言を録音したテープ、豊田牧師自身がまとめた教会関係でおきた事件、事故の一覧表、またその裁判記録などを渡され、家族と共に読んだり聞いたりしました。

正直、ほとんど自分も知らないものばかりだったので、どう判断したらいいのかわかりませんでした。

家族は、話を聞いて驚き、時には怒って、お前はどう思うのかと問い詰められましたが、ここで聞いた話だけで、統一原理の内容、そして自分がCARPにいて実際に感じてきたことが全て間違っていると判断することはできないと思いました。

豊田牧師は、氏族メシアならこの場で親を説得するべきなんじゃないのかと言い、資料も見せているし、統一教会の本も持ってきているので、一方的に説得しているわけではない、ただ悪いことをしている人が本当のことを言うわけはないので、統一教会の人の話を信じることはできないと言いました。

また、統一教会は、一部の幹部のみが悪くほとんどの人はまじめで、寮の先輩もみなだまされているんだ、と言われました。

親も、CARPの人と話すと偏った情報を聞かされてしまう、牧師さんは公平な立場だから、CARPの寮には戻らずここで腹を割って本音で話し合おうと言いました。

しかし、豊田牧師自身、自分は統一教会のマニアなんだと言っていましたが、後に実際に吹田教会に行ってみると本当にたくさんの本や資料があり、信者でないならよっぽど何か思いがなければここまではできないと思われ、とても公平な立場とは思えませんでした。

またなぜ統一教会やCARPの人と一切話すことができず、閉じ込められ、与えられた情報の中でのみ判断しなければならない状況でしか、話し合いができないというのか、わかりません。

結局、統一教会の悪い話を一方的に与えて、だまされていたんだと思わせようという目的なんだろうと思います。

統一教会はカルトで、その信者はマインドコントロールされているんだという一方的な決めつけがそのような考えを生むのではないかと思います。
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5. 監禁中の状況について ②

実際、豊田牧師の話は、悪い面ばかり誇張していると感じることもあったし、自分が今までCARPにいて感じてきたことから比べると、実際の様子とかけ離れていて、とても偏見に満ちていると感じることが多くありました。

当然、私がCARPや統一教会のすべてを知っているわけではありません。

牧師の話が全て出鱈目だというつもりもないし、統一教会の活動に全く問題がないわけではないのだ、ということは感じます。

しかし、だからといってここで一方的に聞かされた話だけで、統一教会の全て否定する気にはならないし、マインドコントロールと言われようが何と言われようが、自分は自分が見て、体験して感じてきたことに従って、判断していきたい、と思いました。

○監禁中の私と家族の心境

私は言われたことに対して、何と答えたらよいかわからないという状態が多くなり、家族もだんだんいらいらし始めました。

父と母が言い争っている場面もありました。

父も会社を辞める覚悟で、監禁が始まってからは一度も外に出ていませんでしたが、実際にやめる可能性が出てくると、受け入れがたいようでした。

弟もいらいらしていて、私が弟に殴られたり、水をかけられたり、首をしめられたりしました。

母親は涙ながらにCARPには戻らないで欲しいと訴えてきました。

考えが変わらないならこのままずっと閉じ込めておくしかない。と言われたり、夜も寝かせない、と言われて夜中ずっと問い詰められたりしました。

精神的にも非常に苦しく、このままの状態が1年も2年も続くのだろうかと思い、自分の気持ちも奪われてしまうのかと思うと絶望的な気分でした。

そして父も仕事をやめれば家族もめちゃめちゃになるだろうと思い、とにかくこの状況を脱したいと思って、豊田牧師が来てから約2週間後、豊田牧師に対し、何が正しいかわからなくなってきました、と言いました。
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6. 監禁後の状況について

○吹田教会の様子

2月11日、豊田牧師が家族で銭湯に行ったらどうか、と提案があり、車で銭湯に行って、帰りにファミレスで食事しました。

外に出れたことがうれしく、親と普通に話ができたことがとてもうれしかったのを覚えています。

次の日、吹田教会の礼拝に参加しました。

そこで、同じようにCARPにいて10月頃監禁されて脱会した、S君に会いました。

(その後、彼とは何度か会いましたが、父と行った海外旅行先で精神的に不安定になったという話を聞き、その後会っていません。)

その後、吹田教会に通い、マインドコントロールの本を貸してもらって読むように言われました。

一度、後輩の牧師にも話を聞かせたいということで、マンションに豊田牧師と後輩の牧師が来て、CARPとの出会いから現在に至るまでの経緯を聞かれ、答えました。

あっさりと信じてもらえたことが意外でしたが、しかし、それ以前の家族の様子を思うと、もしここで逃げ出して失敗したら一生閉じ込められ続けるのではないか、という恐怖感、それに比べてこのままおとなしくしていれば平安な状況が続くのではないか、という思いから、すぐに逃げ出すことはしませんでした。

そもそも今回京都に来たのは、しばらく会っていなかった、99歳(当時)でもうだいぶ弱っている曽祖母や、父方の祖母に会うためであったので、次にいつ会うことができるかわからないし、ひょっとしてもう会えないかもしれないと思うと、できるなら会いたい、ということも考えていました。

外に行く時は基本的に親と一緒でしたが、一人で近所の散歩をするくらいは許してもらえるようになり、またかばんや携帯電話も返してもらいました。

ただ親が心配するので実際散歩したのは1,2回で、携帯電話もメールが来たら親に見せるという条件でした。

その後予定通り京都の実家に帰り、もともと家族が住んでいた千葉県柏市にも行きました。

実際何か始めたいと思い、今後は柏市から予備校に通いたいという話もしていました。

その後、大阪に戻り、吹田教会の礼拝に行くと、豊田牧師に相談に来ている女性が話しかけてきました。

娘が統一教会の信者で、監禁するために具体的にマンションを契約しようとしていて、豊田牧師が細かく指示していました。

母親もアドバイスをしていましたし、私もいろいろ質問されました。
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7. 監禁を受けた私自身の心境について

親が息子と腹を割って話がしたいという気持ちはわかります。

しかし以前にも何度も帰省をしていますし、また親が会いに来たいという時は、自分も時間をとって会うようにしていました。

そういう時に普通に話をしてくれたらよかったのに、なぜこういう強引な方法をとるのか、理解できません。

実際牧師の話を聞いたり、牧師に借りた本を読んでいると、監禁するしか説得する方法がないし、監禁するのは当たり前なんだ、監禁すれば子供は帰ってくるんだ、という考えになるのではないかと感じました。

ただ、私自身も、親の気持ちがわかっていなかったし、親からいろいろ聞かれて突っ込まれるのがいやで、話し合いをするのをどこかで避けるような態度だったという点については、反省しています。 (これは親から後に言われたことでもあります。)

しかし、だからといって、マンションに監禁するような方法で話し合いと称して説得をすることは、何の解決にもなりません。

監禁されていた時の状況に対し、親や牧師は、普通の話し合いの場なんだと思わせようとしていたんだと思いますが、上記のように、その時の家族の状況、また自分の精神状態を考えるととても冷静に判断できる状況ではありませんでした。

またその後、親に対する恐怖心をぬぐえなかったのも事実です。

統一教会に入ると、自由を奪われ、苦労させられる、と言われましたが、今回のように閉じ込められ、不安、恐怖、精神的苦痛を与えられたことは、一度もありません。

自分の心の中の、本当に大切なものを強引に奪われようとする苦しみは、とても耐えられるものではありません。

なぜ、このように一方的に閉じ込められた状況の中で、自分の価値観が正しいのかどうかを突き詰められ、そして、結局は間違っていたという結論を出すまで出してもらえないような環境におかれなければならないのか。

たとえ、親であっても、それは絶対許されないことなのだと、言わずにはおれません。

こういった監禁説得を受けて、その後脱会して普通に暮らしている人もいると思います。

そういった人にとっては、こうした説得方法も、結果としては必要なことだったと、目をつぶるのかもしれません。

しかし、本当にこれが正しい方法なのでしょうか?後遺症を持ってしまった方もいます。このような説得方法が原因で親子関係が断絶してしまった方もいます。
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8. 監禁を受けた私自身の心境について②

なぜ、統一教会の教えが間違っていると、一部の者の独善的な判断によって、断定することができるのでしょうか?

統一原理の教えが,その人にとって本当に価値のあるものだとしたら、統一教会が実際に犯罪集団だという明確な根拠があるならともかく、悪い集団という推論によって、信仰を強引に剥奪する行為は、どれほどひどいことでしょうか。

自分だっていろいろ話も聞いているが、それでも何か価値を見出したからこの生き方を選んだのであって、心配だというのはわかりますが、監禁という強引な方法で、ここまでした親の気持ちをわかってくれ、といわれても、どうしたらいいのか、とにかく苦しいだけなのです。
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